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スーツの仕立て屋
仕立屋ケンさん~キヨシの夢~

元号が平成になっても、大須はあいかわらずシャッター通りだ。
港座、太陽館、東洋劇場…東海一の映画街は消え去り、今やパチンコ屋だけがジャラジャラピカピカと賑やかだ。

俺はこの街でスーツの仕立て屋をやっている。町内ではケンって呼ばれている。
「ケンさーん、今日は来ないのー?」
「あぁ、今行くよ。」
向かいの喫茶店のスミちゃん。彼女もずっと、この町の人間だ。
若い頃は呉服屋の看板娘。今は一人で喫茶店をやっている。
「今日もあっついなぁ。アイスコーヒー。」
「はい。ケンさん、さっきのメガネの若い子、しょんぼりして出てったけど?」
「あぁ、『ウチは高いし、デートで着れるような洒落たスーツはありません。』って言っただけ。」
「本当にそれだけ?まぁ、商売繁盛ならいいけどサ。」
ウチが繁盛してるかどうか、俺よりスミちゃんの方がよく知っている。
いつも喫茶店の厨房から閑古鳥を眺めている。

「アイス、お待ちどうさま。…なんだかうれしそうね。」
「え…いやぁ。キヨシが出てきた。昨日、夢で。」
「あら、なんか言ってた?」
「うん。怒られちゃったよ。最近、売り声やってねぇって。」
「そうねぇ、最近どの店でもやらないね。」
「アイツのは活気があったな。すぐに人だかりができて。」
「そうだね。…キヨさん。」

キヨシは修行時代の同僚だった。
口はたいそう上手かったけど、仕立ての腕はひどくて、よく俺がアイツの不始末の尻拭いをしてやった。

「わたしはケンさんの売り声の方が好きだったわよ。」
「え、どうして?」
「わかりやすくて品があって、女の私でも欲しくなったわ。あの人のは、ほとんどテキ屋の口上だからさ、ウワーッと盛り上がっちゃってねぇ。しゃべり終わったら、お客さんが満足してパーッといなくなっちゃうんだもの。慌ててダーッと走って引き留めてて、おかしかった。アハハ。」
彼女は大きく口をあけて笑った。そうやって昔からキヨシを笑っていた。
「ねぇ、他なんか言ってた?おしえてよ、ケンさん。」
「いや、もう覚えてない。」
「うそ。言いなさいヨ。」
「男同士の秘密だよ。ごちそうさん。お代ここ。」
小銭を置き、逃げるように店を出た。

「スミちゃん、いつも元気すぎるなぁ。」
店の奥のカウンターに戻り、煙草をくわえる。

彼女とキヨシは、将来を約束した仲だった。
俺とキヨシは同じ日に出征した。戦地から生きて帰ってこられたのは俺だけで、その後ひとりでこの店を継いだ。

昨晩の夢を思い出す。
万松寺のながいながい鐘の音が響く夕暮れ。赤門通の電停に、俺はキヨシと立っていた。

「ケンさん、今年も暑いなぁ。」
「キヨシ、今年は帰ってこれるのか?」
「…帰れそうにねえなぁ。」

「ケンさん、今も売り声やってるか?」
「ううん、もうそんな時代じゃないよ。」
「時代もクソもねえよ。モノ売るには声出さなきゃよ。」

「キヨシ、お前の売り声が聞きたいよ。」
「へへ、もう忘れちまったい。ケンさん、代わりにやってくれよ。」
「いやぁ、俺にはできねえよ。」

万松寺の鐘がもう一度鳴った。
矢場町の方から、路面電車が近づいてくる。
「もう行くぜ。ケンさん、達者でな。」
「おい、まてよ!キヨシ!」
キヨシを追おうとする。しかし自分の体は動かない。
乗降扉の閉まり際、アイツは目尻に皺を寄せて言った。
「おスミちゃん、頼んだぜ。」
「キヨシ!」
そこで目が覚めたのだった。

もう、売り声なんて忘れていた。でも、あの夢を見た後、すこしずつ思い出そうとしている。
キヨシのよく立っていた店の戸口を見つめながら。

ふと気が付くと、戸口に、さっき追い返したメガネのお兄ちゃんが立っていた。
「おうい、どうしても気になるか?はいれはいれ。」
「はい、ごめんください。」
「兄ちゃんこれはな…角は一流デパートの、松河屋、丸越、角栄で、ポマードつけたお兄ちゃんからください頂戴で頂きますと、30万、40万、50万はくだらない品物だが、今日はそれだけ下さいとは言わない。大まけにまけましょう…。」

キヨシの売り声が、口をついて出た。

コメント

  • ケンさんもきっとスミさんのこと、ずっと好きだったんですね。だから、嫁も取らずに生きてきた。キヨシさんはそのことを知ってて、夢に出てきたような気もします。

    九曜 返信
    • そうですね、
      スミちゃんも ひとり だと思います。
      お互いを気遣い、見守るという
      優しい愛を知りました。
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 石黒さんのお声が素敵でした。
    大須で働いているのでなんだか身近に感じました。
    短い作品ですがこころもちの切り取り方が素敵だと思いました。
    またよろしくお願いいたします。

    北野和恵 返信
    • 高校生の時、ラストで登場する
      メガネの男の子のように、
      大須商店街のお店の
      ショウウィンドゥの前で
      1000円ほど手持ちが足らない
      セーターを何時間も見ていた経験が
      あります。
      おじさんが「じゃあ そんでいいよ」
      と言ってくれました。
      私が
      「ああ 全部 使うと電車賃が・・」
      おじさん笑って
      結局1500円 まけてくれました。
      大須は良い思い出ばかりです。
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 良いなあ〜! 瞼に情景が思い浮かびました。ありがとうございました!

    匿名 返信
    • 人間には豊かな想像力があります。
      情景が浮かぶ喜びは
      想像力の歓喜です。
      ラジオドラマで育った私には
      何よりの お言葉。
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 就寝前のひととき、大好きなラジオドラマを聴くようなワクワク感で拝聴しました。短編の中の限られたスペース以上の深さや広さを感じ、やはり見えない風景や聞こえない音の世界に引き込まれました。朗読の力って凄いですね。想像力フル稼働!過去の様々な記憶の中で現在を生きる哀しさや優しさ、、、人間の強さも感じました。

    豆だぬき 返信
    • 現在ラジオドラマは
      皆無に等しい程 減ってしまい
      残念でなりません。
      聴いて下さる方
      おひとり おひとりの耳に
      届けられる この企画に賛同です。
      久しぶりに
      ひとりラジオドラマ
      堪能させて頂きました。
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 渋めの声の落ち着いたトーンを基調にさまざまの登場人物を的確に演じ分ける…。
    石黒さん、流石の演技力ですねー😃

    山口未知 返信
    • 言葉のドラマの醍醐味ですね、
      映像だと全役ひとりは難しい。
      私のスミちゃんは登場した途端に
      お笑い芝居ですね。
      それも好きだけど。
      私ね、水になりたいんです。
      役という器に、色も匂いも無く
      すーっと その役に馴染む、
      最近は
      変幻自在とか カメレオンとか、
      凄い表現で呼んで頂くのですが、
      目指すは・・水役者なんです。
      聴いてくださり
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 久しぶりに石黒さんの声を聞き、何か少し元気が出てきました。ありがとうございます。
    色々大変かと思いますが、早く元気な芝居が見たいと思います。
    頑張って下さい!

    小林 返信
  • 久しぶりに石黒さんの声を聞き少し元気が出てきました。ありがとうございます。
    色々大変な時期ですが、元気に頑張って下さい。
    早く元気な芝居も見せて下さい。待っています。

    小林 返信
    • ホントに今年は生の舞台ぜ~んぶ
      無くなっちゃいましたね。
      タメ息ひとつで免疫力さがるので
      前向きですよ。
      3月から半年、私たち表現者は
      無収入となりましたが、
      8月も終わろうとしている今、
      少しづつですが、
      舞台表現が戻ってきました。
      来年は、いや今から、
      目一杯 楽しんでいきます。
      見ててくださいよー。
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 聞いていて、頭の中で映像と音がぱ~っと広がり、頭の中で私監督・演出で、自分好みの映像を作っちゃいました。朗読はこういう楽しみ方ができるんですね。また聞きたいです。

    うら 返信
    • 想像力ってスゴイですね。
      ひとりひとり
      みんな違うんです。
      そこが また いい。
      私、人形劇もやってましてね。
      新美南吉さんの
      「てぶくろをかいに」を見た
      4歳の女の子が、
      ママがね
      よくがんばったねって
      ほめてくれたとこが良かった
      って、瞳をキラキラさせて
      言いに来てくれたんです。
      実は、私のこの作品は、
      手袋を買った子狐が
      「ただいまー!」って
      母さん狐の胸に飛び込むとこで
      終わりなんです。
      これからも言葉の世界、
      ステキに楽しんでくださいね。
      ありがとうございました。

      石黒寛 返信
  • 石黒さんの声、本当にいいですね。
    人形を作りながらイヤホンで拝聴して…なんだかとても楽しいひとときが持てました。何人もの違う人間がはっきり見えてくるのは、さすがです!

    むすびの美佳 返信
  • 物語が始まり、石黒さんの渋い声に聞き惚れていると、なんとスミちゃんも石黒さん!すごいです。大好きな大須が舞台のラジオドラマ、想像力をフル活動して聞きました。ありがとうございました〜

    後藤 返信
  • 石黒さんの渋い声に聞き惚れていると、なんとスミちゃんも石黒さん!すごいです!
    想像力をフル活動して聞きました〜。
    大好きな大須が舞台で楽しかったです。

    後藤 返信
  • スミちゃんとケンさん、キヨさんの姿がすっと優しい背景と共に浮かんできました。何故か3人とも若い姿で。
    石黒さんの声やっぱり素敵ですね。渋めの声もいいですね。

    カニちゃん 返信
  • 想像力ってスゴイですね。
    ひとりひとり
    みんな違うんです。
    そこが また いい。
    私、人形劇もやってましてね。
    新美南吉さんの
    「てぶくろをかいに」を見た
    4歳の女の子が、
    ママがね
    よくがんばったねって
    ほめてくれたとこが良かった
    って、瞳をキラキラさせて
    言いに来てくれたんです。
    実は、私のこの作品は、
    手袋を買った子狐が
    「ただいまー!」って
    母さん狐の胸に飛び込むとこで
    終わりなんです。
    これからも言葉の世界、
    ステキに楽しんでくださいね。
    ありがとうございました。

    石黒寛 返信
  • ケンさんはスミさんの後ろに
    スミさんはケンさんの後ろに
    キヨシさんの面影を想い描いているんでしょうね。
    変わりゆく大須商店街で変わらない3人の関係が素敵でした。
    そしてやっぱり石黒さんの声が渋い!!

    野々川護 返信
  • スミちゃん、キヨさん、ケンさんの姿が目に浮かびました。可愛い笑顔のスミちゃん、すらっとした醤油顔のキヨさん、ガッチリたくましい凛々しいケンさん。切ないけど温かい。石黒さんの声で大須の町と3人がすっと映像化されました。渋めの声も素敵でした。

    カニちゃん 返信
  • なんだか懐かしく、子どものら頃に部屋でラジオ聞いていた頃を思い出しました。
    短い作品からいろいろな背景が想像できるものですね。ゆったり流れる時間大事にしてるだろうかと思います。石黒さんの声素敵でした。スミちゃんの声の時の少しあそび空間もいいです!

    近藤愛子 返信
  • 久し振りに朗読にて場面が目に浮かび気持ちが動く作品でした。
    朗読劇が大好きだった事を思い出してしまい、なんだか目頭が熱くなりました。

    また自分も何かできる事をやっていこうと思います。ありがとうございました😊

    横地丸 信吉 返信
  • 渋いお声、堪能しました。頭の中に大須の町が浮かびました。映像がないと、より役者さんの力量が必要であるとわかった気がします。また舞台を観られる日を心待ちにしています。

    かじた 返信
  • 遅くなりました久しぶりに石黒さんの声を聞けて元気になりました‼️スマホアプリの使い方わからなかったのでごめんなさい。早くコロナ終息するのを祈ってます~☺️

    黒田恭子 返信
  • 良い物語りを上手い役者さんが演じると、文句なく素敵な作品になるのだな、と感じ入りました。
    石黒さん、舞台での再会を楽しみにしています。

    おおたに 返信
  • 今朝 久しぶりに これを聞きました。
    何度聞いてもいいですね。
     今年の夏は時代横丁の番外編?が中止になり残念でした。
     来年は さらに良いお芝居を
    楽しみにしています。  小林

    小林 返信
  • 石黒さん。
    心がホッコリあたたかくなりました。
    セピア色の情景が目に浮かび
    どこか懐かしく切なく…。
    でも ラストシーンにニンマリ。

    石黒さんの素晴らしい演技力は
    言うまでもないのですが…
    「声魂」と言いましょうか、
    演技を超越したものを感じました。

    ありがとうございました。

    松島季実代 返信

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