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仕立屋ケンさん~キヨシの夢~

  • 2020年8月27日
スーツの仕立て屋

 

仕立屋ケンさん~キヨシの夢~

モグラ

元号が平成になっても、大須はあいかわらずシャッター通りだ。
港座、太陽館、東洋劇場…東海一の映画街は消え去り、今やパチンコ屋だけがジャラジャラピカピカと賑やかだ。

俺はこの街でスーツの仕立て屋をやっている。町内ではケンって呼ばれている。
「ケンさーん、今日は来ないのー?」
「あぁ、今行くよ。」
向かいの喫茶店のスミちゃん。彼女もずっと、この町の人間だ。
若い頃は呉服屋の看板娘。今は一人で喫茶店をやっている。
「今日もあっついなぁ。アイスコーヒー。」
「はい。ケンさん、さっきのメガネの若い子、しょんぼりして出てったけど?」
「あぁ、『ウチは高いし、デートで着れるような洒落たスーツはありません。』って言っただけ。」
「本当にそれだけ?まぁ、商売繁盛ならいいけどサ。」
ウチが繁盛してるかどうか、俺よりスミちゃんの方がよく知っている。
いつも喫茶店の厨房から閑古鳥を眺めている。

「アイス、お待ちどうさま。…なんだかうれしそうね。」
「え…いやぁ。キヨシが出てきた。昨日、夢で。」
「あら、なんか言ってた?」
「うん。怒られちゃったよ。最近、売り声やってねぇって。」
「そうねぇ、最近どの店でもやらないね。」
「アイツのは活気があったな。すぐに人だかりができて。」
「そうだね。…キヨさん。」

キヨシは修行時代の同僚だった。
口はたいそう上手かったけど、仕立ての腕はひどくて、よく俺がアイツの不始末の尻拭いをしてやった。

「わたしはケンさんの売り声の方が好きだったわよ。」
「え、どうして?」
「わかりやすくて品があって、女の私でも欲しくなったわ。あの人のは、ほとんどテキ屋の口上だからさ、ウワーッと盛り上がっちゃってねぇ。しゃべり終わったら、お客さんが満足してパーッといなくなっちゃうんだもの。慌ててダーッと走って引き留めてて、おかしかった。アハハ。」
彼女は大きく口をあけて笑った。そうやって昔からキヨシを笑っていた。
「ねぇ、他なんか言ってた?おしえてよ、ケンさん。」
「いや、もう覚えてない。」
「うそ。言いなさいヨ。」
「男同士の秘密だよ。ごちそうさん。お代ここ。」
小銭を置き、逃げるように店を出た。

「スミちゃん、いつも元気すぎるなぁ。」
店の奥のカウンターに戻り、煙草をくわえる。

彼女とキヨシは、将来を約束した仲だった。
俺とキヨシは同じ日に出征した。戦地から生きて帰ってこられたのは俺だけで、その後ひとりでこの店を継いだ。

昨晩の夢を思い出す。
万松寺のながいながい鐘の音が響く夕暮れ。赤門通の電停に、俺はキヨシと立っていた。

「ケンさん、今年も暑いなぁ。」
「キヨシ、今年は帰ってこれるのか?」
「…帰れそうにねえなぁ。」

「ケンさん、今も売り声やってるか?」
「ううん、もうそんな時代じゃないよ。」
「時代もクソもねえよ。モノ売るには声出さなきゃよ。」

「キヨシ、お前の売り声が聞きたいよ。」
「へへ、もう忘れちまったい。ケンさん、代わりにやってくれよ。」
「いやぁ、俺にはできねえよ。」

万松寺の鐘がもう一度鳴った。
矢場町の方から、路面電車が近づいてくる。
「もう行くぜ。ケンさん、達者でな。」
「おい、まてよ!キヨシ!」
キヨシを追おうとする。しかし自分の体は動かない。
乗降扉の閉まり際、アイツは目尻に皺を寄せて言った。
「おスミちゃん、頼んだぜ。」
「キヨシ!」
そこで目が覚めたのだった。

もう、売り声なんて忘れていた。でも、あの夢を見た後、すこしずつ思い出そうとしている。
キヨシのよく立っていた店の戸口を見つめながら。

ふと気が付くと、戸口に、さっき追い返したメガネのお兄ちゃんが立っていた。
「おうい、どうしても気になるか?はいれはいれ。」
「はい、ごめんください。」
「兄ちゃんこれはな…角は一流デパートの、松河屋、丸越、角栄で、ポマードつけたお兄ちゃんからください頂戴で頂きますと、30万、40万、50万はくだらない品物だが、今日はそれだけ下さいとは言わない。大まけにまけましょう…。」

キヨシの売り声が、口をついて出た。

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