小説の応募
Slider

カテゴリー

熱田の杜の楊貴妃

  • 2021年4月27日

熱田の杜の楊貴妃

島津唯衣

 雨上がりの境内は、静寂に満ちていた。
 熱田神宮の第一鳥居をくぐり、東に向かってまっすぐに歩く。足を踏み出すごとに砂が音をたて、熱田の杜に静かに響いた。
 雨上がりの早朝ということもあって、参道には誰もいなかった。
 晴れた日、木々の呼吸を感じるさわやかな匂いとは違い、雨あがりの森は濃厚でいて穏やかな匂いが広がっていた。
 ピンと張った朝の空気をかきわけるように、宝物殿に向かって歩みを進めた。宝物殿を通り過ぎ、そのまま北へしばらく進むと、小さな社に辿り着いた。
 お社の名は「清水社」。熱田の杜の奥、本殿の北東に位置する場所にひっそりと建っている。
 ここのお社を知ったのは今から二十年以上前のこと。それ以来、何かあるたびに、私はここへお参りに来ていた。
 結婚、出産、娘の受験……人生の節目のたびに、ここへお参りに来て願掛けをするのには理由があった。
 このお社の小さな泉には、楊貴妃のお墓と言われている石がある。その石に三度水をかけると願いが叶うと言われているのだ。泉から湧き出る水は美容に良いとも言う。
「なんで熱田神宮に楊貴妃のお墓があるの?」
 初めてこのお社を知ったときは、とても不思議に思った。
 楊貴妃は世界三大美女のひとりで、唐の玄宗皇帝の妃として寵愛を受けた。
 楊貴妃の美しさに心奪われた玄宗皇帝は、政治がおろそかになり、それが原因で反乱がおきてしまう。民衆の恨みを買った彼女は、逃避行中に非業の死を遂げる。
 そんな楊貴妃のお墓が熱田の地にあるのは、白居易の「長恨歌」に由来がある。
 楊貴妃の死を悲しんだ玄宗皇帝は、彼女の霊魂を呪術師に探させた。すると楊貴妃は仙女に生まれ変わり、蓬莱に居住しているという。その蓬莱が熱田の地というわけである。
 南北朝期に編纂された天台宗の著書『渓嵐拾葉』が、楊貴妃と熱田蓬莱説を初めて結び付けた書と言われている、らしい。
 楊貴妃のお墓の由来に、そんな伝説があるなんて。
 名古屋人で知らない者はいない鰻屋「蓬莱軒」、ここの屋号も、この伝説がもとになっているそうだ。
 伝説には続きがある。
 戦国時代以降、この楊貴妃伝説は形を変える。
 玄宗皇帝は密かに日本への侵略・征服を企んでいた。それを知った熱田の神が楊貴妃に姿を変え、その美しさで玄宗を虜にし、日本への侵略を諦めさせることに成功する。役目を終えた楊貴妃は熱田の地へ戻った、という説話が後に現れるのだ。
 なぜ楊貴妃伝説は変わったのだろうか。
 蒙古襲来をきっかけに起こった、日本の宗教観の変容、とする説がある。蒙古襲来以降、日本古来の神々がこの国を守り続けている、という思想が強くなり、そのひとつの帰結として「熱田の神が楊貴妃に姿を変え、日本侵略を阻止した」という伝説になった、という説だ。
 この話を聞いたとき、「世の中には変わらないものなどない」ということに気づいた。
 何が正しいのかさえも、時代によって変わってしまう。変わり続けるということが、生きるということであるのかもしれない。
 この春、私は新しい一歩を踏み出す。
 障害児支援のためのNPO法人を主婦仲間とともに立ち上げたのだ。NPO設立にあたって、厳しい意見をいくつももらった。世の中にはさまざまな意見があることを知り、自らの信念が揺らいだことも何度かあった。それでもなんとか立ち上げに漕ぎつけることができた。もう、後戻りはできない。
 柄杓に水を取り、泉に置かれた石に、三度水をかけた。そして、手を合わせて目を閉じる。
 私のささやかな願いを、どうか叶えてほしい。
 手をおろし、空を見上げた。
 雲ひとつない青空に、仙女となった彼女が微笑んでいるような気がした。

カテゴリー
歴史・時代

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。

※作品に対する温かいコメントをお待ちしています。
※事業団が不適切と判断したコメントは削除する場合があります。

Voicy Novels Cabinet