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泪の役目

  • 2021年3月03日

泪の役目

るすい

朗読:マツガサキアサミ(人生応援劇団パンジャーボンバーズ)

 空はどこから始まるのだろう。空を仰ぎ見るたびにそう思う。遠くなったり、低くなったり、その距離は変幻自在だけれど、けして手が届くことはない。
 星神社を左手に上る堤防道路への坂道で、自転車を引きながらいつもそんなことを考える。そして、道路を渡って庄内緑地公園へと下る坂道では、自転車をまたぎ、ペダルに足を乗せたまま、自然の摂理に任せて落ちるように下っていく。風を切って下るとき、何も考えてはいない。スキーで滑り降りる時もそうだ。落ちていく。そう感じながら、頭の中は真っ白で何かを思うことはない。恐怖心の一種なのか。でも、ひどく心地よい。
 坂を下り終えると、桜並木のサイクリングコースを走る。これもいつものことだ。
 何かに行き詰まると、自転車に乗って庄内緑地のサイクリングロードを何周かすることがお決まりになってしまった。
平日の午前中の公園内は、ウォーキングやジョギング、サイクリングに犬の散歩をする人がたくさん居る。どこかの幼稚園が遠足に来ていることもある。それらの人を全部集めたら、結構な人数になると思うのだが、広い公園内ではまばらにしか映らない。そして私もそのまばらな人のうちの一人だ。
 自由業は不自由だ、と誰かが言っていた。本当にそう思う。三百六十五日、二十四時間、常に仕事の待ち受け状態だ。
 フリーランスのライターとして、編集プロダクションからの仕事を待ち、当日取材当日入稿の急な依頼にも期限厳守で入稿し、深夜に電話でたたき起こされて手直しをする。仕事をしている最中は、入稿時間だけを気にして無心にキーボードを叩くのだが、何をやっているのだろうと思うこともある。紙面のレイアウトが決まらず、文字数の連絡を待っている時や仕事がなく依頼を待っている時がそれだ。
 待ち時間が長ければ長いほど不安になる。入稿した原稿がいくら評価されても、次の仕事が来る保証はどこにもない。そんなことは最初からわかっていたことだ。だが、その只中(ただなか)に立たされると想像以上に怖いものだった。
 赤く染まった紅葉が常緑樹の中で光を浴びて神々しく輝いている。バックの抜けるような青い空とのコントラストが美しい。今の私には眩しい限りだ。
 見上げる空はやがて宇宙へと続く。昼に見上げて見えるのは空だが、夜は宇宙だ。空の終わりが宇宙の始まりだと言い切ることはできない。空が夜になると宇宙に変貌するとも考えられるからだ。
 もう一度、どこかの会社で働くことにした方がいいのかもしれない。やってみたかったライターの仕事は、思い描いていたものとは違った。仕事なのだから、求められるようにせねばならないのは承知している。電話取材だけで、あたかも食べたように洋菓子の紹介記事を書いたこともあった。嘘ではないが誇張した表現になった記事もある。罪悪感を抱くほどではないが、多少の疑問と抵抗を感じるのだ。
 ペダルを踏む力が自然と強くなる。風を感じて頬(ほお)が冷たい。強く、もっと強くペダルを踏む。
「痛」
 何かが目に入った。思い切りブレーキを握る。高校の自転車通学中によく虫が目に飛び込んでは自転車を止めて、友人に取り除いてもらったことを思い出した。
 自転車にまたがったまま、瞬きをする。痛みで涙が溢れてきた。ごみを流すにはちょうどいい。人間の身体はとても合理的だ。でも、なかなかごみは取れない。涙が次々と溢れてくる。止まらない。周囲には誰もいない。誰の目もない。そう思った途端、声を上げて泣き出していた。どのくらい泣いていたのかよくわからない。いつの間にか涙は止まり、目の中のごみも取れて痛みもなくなった。
 昔、平日の昼間に映画館へ泣くために時々出かけた。イライラやストレスが溜まったと感じると、それらを解消するために涙を誘う映画を見るのだ。閑散とした映画館で、思い切りわんわん泣いて、スッキリすることで翌日からいつもの生活を継続することができた。泣くことで内側に溜まった澱が消えたのだ。
 再びペダルを思い切り踏み込んだ。行き詰って書けなくなった原稿の続きが、今なら書けそうな気がする。

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