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好きこそものの上手なれ

  • 2021年6月06日
定食屋のカウンター
好きこそものの上手なれ
朗読:中田裕子  

 ――ああ、まただ。こうなるんじゃないかと思ってた。
「残念ながら、今回は落選ということで……」
 予測していたとしてもショックは大きくて、選評を聞いたはずが内容はほとんど覚えていない。

 本命のコンクールで最終候補まで残れただけでもよかったと慰められても、そう簡単に割り切れるはずがない。
「絵を描くの、もうやめようかな」
 祖父の営む定食屋のカウンター席に座っていた私が弱音を吐くと、そばで片付けをしていた叔母が手を止める。
「どうして? あんなに上手なのに」
 年頃の女の子の遊びもそっちのけで絵を描くことにのめり込み、中学へ上がってからは学習塾ではなく絵画教室に通った。けれど、たいした成果は上げられていない。
「才能無いんだよ。向いてないと思う」
「でも、これまで何度も入賞してるんでしょ?」
「ぜんぶ規模の小さいやつだし。入賞しても一番じゃないんだよ」
 高校生になってからは外部のコンクールも片っ端から受けた。描いて、描いて、足掻いてみてもダメ。
「どうせ私なんて……」
 ふて腐れる私の前にどんっと、器が置かれる。一人前用の鉄板は時々使われていたが、その上に山のように盛られたあんかけスパを見たのは初めてだ。
「ちょっと! またメニュー増えたの?」
 厨房に向かって声をかけたが返事はなく、呆れたような顔をした叔母が代わりに答える。
「おじいちゃん、作るの好きだからね。どんどん増えちゃうのよ」
 壁に貼られたメニュー表には、手書きでいくつもメニューが追加されている。味噌カツ、手羽先、ひつまぶし……なんなら、小倉トーストだってある。頼まれれば何でも作ってしまえる「器用貧乏だ」なんて、祖父と共に店を切り盛りしてきた祖母がよくぼやいていた。
 メニューの増えすぎた定食屋は、“ここへ来れば何か食べられる”といった常連客ばかりでそこそこ賑わっていた。
 カウンターの向こうから、祖父がぽつりと言う。
「それも才能なんじゃないのか」
 店を開けるには、街が動き出すよりもずっと早い時間から準備が必要だ。来るかわからないお客さんのために仕込みをして、どんな料理も出せるようにしている。自ら市場に仕入れに行くことだってある。毎日、毎日、ひた走る。街角の小さな定食屋で。
「入賞するのは凄いことだ。でも、それがすべてじゃあないし、目的でもないだろう」
 厨房に立つ祖父に今、会計を終えた男性客が声をかけてくる。
「おじさん、新メニューのあんかけスパ、おいしかったよ!」
 台湾ラーメンしかり、天むすだって、名古屋めしにはそれぞれ有名店があるし、そうでなくてもローカル番組や雑誌で取り上げられる評判の店はたくさんある。だけどこの瞬間、祖父は確かに主役だった。
「ごちそうさま、また来るよ」
 厨房から出てきた祖父は、深々と頭を下げて男性客を見送る。
「ありがとうございました」
 店内には、誰かにとっての“一番”がたくさん詰まっている。勝ち負けとか、大きい小さいとか、そんなんじゃない。ほんの一時の至福を味わうお客さんと、それを願う店主の物語だ。
 嬉しそうな顔をする祖父を横目に、「いただきます」と手を合わせる。鉄板に薄く敷かれた玉子、とろみのあるソースが掛かったあんかけスパ。フォークでくるくると巻いて口に入れる。
「……おいしい」
 思わず涙がこぼれそうになったのは、ピリリと辛い胡椒のせいということにして、そのしずくを指の腹で拾い上げた。

 雲一つない晴天の朝。見上げた空の青はより一層澄んでいて、とても綺麗だった。
 学校へ向かおうと自転車を押して店の前を通りかかると、ちょうど祖父が外へ出てきた。
「なんだ、今日は早いな」
「文化祭の看板、仕上げないと。その看板のデザイン、私が考えたんだ」
 私は、かごに入れてあった画材道具のケースを手に取ってみせる。
「絵を描くの好きだし、もう少しだけ頑張ってみるよ」
「ああ。もう少し、もう少しって言いながら、長く続けたらいい」
「そうだね。そうするよ」
 諦めの悪さは祖父譲り。それもまたひとつの才能なのだと、そう思った。

カテゴリー
ヒューマンドラマ

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