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小さな夜

  • 2020年9月11日

 

小さな夜

ノブセノブヨ

朗読: 小嶋彩子(劇団エーアンドエーダッシュ)

気がつくと、外がぼんやりと明るい。朝が、やってきてしまったのだ。もう出勤まで数時間しかないというのに、ほとんど眠ることができなかった。睡眠不足に加えて、今日という日が始まりつつある絶望感に、全身から血の気が引いていく。
大袈裟かもしれないが、こんな日の朝は、この世の終わりみたいに感じる。何より不可解なのは、眠れなかったことへの罪悪感だ。眠れなくて困るのは、もちろん自分しかいない。それなのに、夜を盗んだまま朝まで走ってきてしまった罪のような、取り返しのつかないことをしてしまった気持ちになるのは何故なのだろう。そんなことを鬱々と考えているうちに、また時間が過ぎていく。
寝転んだまま何気なく、窓を開ける。少し冷たい澄んだ空気に混じって、どこかの家のラジオの音が聞こえてきた。
よく聞き取れないが、何か昔聞いたような曲が流れている。このラジオを付けた人は今、この曲を聴きながら何を考えているのだろう。ひょっとしたら、ほとんど聴いてはいなくて、朝食の支度中かもしれない。お年寄りだろうか、それとも徹夜で勉強していた学生だろうか。
そんな風に見知らぬ誰かのことを考えていると、不思議と心が落ち着いた。自分の悩みや人生とはまるで無関係な誰かの朝が、呼吸を深くさせてくれた。

すると突然、胸のところから黒いものがぶわっと出てきた。呆然として見つめていると、それは煙のようにしばらく宙を漂いながら一箇所に集まって、小さな形になった。
小刻みに揺れ動く様子は生き物のようだったが、指先で触ろうとしても手応えがなく、実態がない。顔を近づけて眺めてみると、何やら黒い靄のなかで光るものがある。星と、月のようなもの。
ひょっとしてこれは夢なのかもしれない、と思い顔を叩いてみたが、夢から醒める気配はない。とすると、この奇妙な光景は現実であるようだ。
「おまえは、夜なの?」
意を決して尋ねてみたが、返事はない。だが、ぺたんと平べったくなってしまって、哀しげだ。きっと答えは、「イエス」なのだろう。私の中に、取り残されてしまった小さな夜。これがあの罪悪感の正体?
床で震えている姿を見ていると、なんだか不憫になってきてしまった。一人朝に残されて、寂しいのだろう。その気持ちは、私が誰よりもわかっている。
小さな夜をそっと掴んでズボンのポケットに入れ、部屋を出た。気晴らしに、散歩にでも行ってみよう。

街は静かに動き始めていて、いつもとは違う空気感に、まるで別の土地に来たような気分になる。
公園に着くと、小さな夜を外へ出してやった。すると、朝日に驚いたように一瞬身を震わせたかと思うと、縮こまって動かなくなってしまった。急いで木陰に持って行ったが、変化はない。これくらいの暗闇では、駄目らしい。それから、色んな暗闇を試してまわった。自動販売機の裏、草むらの中、ビルの隙間等々。だが、どこも駄目だった。そうこうするうち、ますます日が昇ってきた。
時計をみると、出勤まであと1時間、というくらいだった。可哀想だけど、今日はもう戻らなければ。

帰り際に、コンビニに寄った。軽い朝食を選んでレジに持って行くと、突然ポケットが激しく震え始めた。これまでとは様子が違う。今にも出てきそうなのを必死で抑えていると、店員がそっと台の上に黒いもやもやとしたものを置いた。
「たぶん、ともだち」
その時初めて、店員の顔を見た。ベトナム人らしき女性が、少し困ったような顔をして微笑んでいる。私も、自分の小さな夜をポケットから出して台に置いた。
2つの小さな夜たちは、もう嬉しくてたまらない、という様子で手を取り合い、踊り始めた。ぐるぐると回るたびに彼らは溶け合って、やがて一つになり、光の中に消えていった。
「あの子、もう何日も帰れなかった。わたしずっと仕事だった。今日ともだちきて、よかった」
私はなんだかもう泣きそうになってしまって、ただうなずくだけで精一杯だった。コンビニを出ると涙が止まらなくなって、でもビルの間から昇ってくる太陽がまぶしくて嬉しくて、笑いながら泣いた。

私も、よかった、と心から思った。

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