ア・ラ・カルト
古漬けの沢庵を細かく刻んで、ほかほかのご飯に混ぜる。
長辺が長めのタッパーにラップをしいて、青じその葉と、瓶入りの鮭フレークを底に敷き詰めるように入れる。
上から沢庵ご飯を、ぎゅうぎゅうに詰める。
冷蔵庫で冷やして、ラップごと切り分ければ、なんちゃって圧し寿司の完成だ。
沢庵ご飯に切り胡麻を混ぜてもいいし、沢庵の代わりに生姜の甘酢漬けを使ってもいい。
「実家の生活レベルが、ばれるね」
君が、憎まれ口をきく。
いつもの二倍の量のご飯だ。ぺろりと食べたくせに。
君はおいしいとは口に出さない。なのに、取り分けずに残しておいたほうの寿司に、箸をのばしている。あごにご飯粒をつけて。
こんなの、食べたことないから、珍しいのだろう。
まわる寿司屋には、大学生になって、はじめて行ったというくらいだからびっくりだ。
「庶民の食卓は、さぞかし珍しいだろうね」
皮肉を言ったって通じやしない。
君の噂は、入学した頃には、すでに広まっていた。
有名企業の創業一族の隠し子だと。
東京を離れて、地方の大学にしたのも、腹違いの兄弟に配慮してだとか。
「それ、事実じゃないよ。俺、認知されているもん」
自嘲するでもなく、からっとした口調で言ってのける。隠されてないから、と笑った。
春のうちは、取り巻きのように学生たちが集まっていたけれど、ブームが去るように、君が目立つことも無くなった。
「ウチ、遊びに来ない?」
机と椅子だけの講義室で、君が振り返って言った。教養科目は名簿順で、いつも席順が前後だった。
君の噂の一つを思い出した。部屋のリビングから、お城のしゃちほこと目が合う、という。
そんなわけないだろう。でも、住まいが高級マンションには違いない。
「コンシェルジュがいるようなマンションには行きたくない」
「じゃ、俺が遊びに行こうかな」
高い窓から日が差し込んでいた。逆光で、君は影法師みたいだった。
後期の授業がはじまる秋の頃、君はやって来た。当然のように、初日から泊っていった。
そして、悪びれもせず、来る度に私物を増やしていった。
充分な仕送りをもらっているだろうに。贅沢なそぶりは欠片もない。ルームシェアというよりは、君には居候という言葉がぴったりだ。
「あぁ、だめ……」
君が呻いた。
「やばい。やっぱり、だめだ」
いつもは、こちらが料理担当だ。食材を無駄にするのは嫌いだから。
二人で住みはじめて二年、自粛が続くある日、君は自分がやると言ってきかない。
とりあえず玉子焼きを任せてみたのだ。
ギブアップが早いよ。
君の手元で、玉子はぐちゃぐちゃになりかけている。何とかしなくちゃね。
コンロ前を入れ替わって、炒り卵に変更した。別の鍋に豆腐と薬味葱、余っていた焼き肉のたれ、それに赤みそを少々混ぜて投入、豆腐を粗くつぶしながら、しばし加熱。最後に水溶き片栗粉を忘れずに、と。
どんぶりご飯に炒り卵を乗せ、さらに上に、豆腐あんをとろりとかける。
「はい、豆腐丼」
「すげー」
早速、ひとくち味見をする。
「あっちい」
キッチンに立つのも、つまみ食いをするのも、君の人生で今だけかもしれないね。
いずれ、ディナーにコース料理を食べる日々へ、戻ってゆくだろう。
くちづけした。
「たれの味がする」
鼻と鼻をつけたまま、笑う。
くちづけする時、先に目を閉じるのは君の方だ。
目を閉じても、お坊ちゃま然とした眉や唇。それが、一瞬だけ泣き顔のように見える。
君の知らない君の表情だね。
こうして同じ時を過ごせば、どんどん君を知ってゆくから。
真っ直ぐで、にくらしい君。君が手放しで泣くときの顔は、どんなだろう。
「何か企んでいる顔したぞ」
君は、わかっているのかな。
さよならがこわい。
笑って、やわらかなキスをした。