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プラネタリウム
プラネタリウムの夢
朗読:山口未知
  
劇団B級遊撃隊

 小学五年生だった。名古屋市の科学館が主催の天文クラブに入っていた。一ヶ月に一度、プラネタリウムを無料で見せてくれる。そこで知り合ったのが明子ちゃんだ。席が隣になったのがきっかけ。それから毎月、明子ちゃんと会うようになった。
 リクライニングシートを倒すと、頭上に満面の星空が広がる。その瞬間が大好きだった。プラネタリウムの説明をする係の人は、その昔ギリシャの人が星と星を結んで神話に当てはめたように、定規を当てはめて、矢印マークで星を教えてくれる。
「これが、さそり座のひときわ輝きの大きい星アンタレス。覚え方は、あんた誰です、アンタレス」
 毎度この調子だ。プラネタリウムで過ごす時間はあっという間だった。
「私、ナサに行く!」
 ある日、明子ちゃんが突然言い出した。何のことだかさっぱりわからない。明子ちゃんによると、NASAというアメリカの宇宙研究所らしい。明子ちゃんはプラネタリウムに夢中になるあまり、色々調べて、NASAという存在に到達したのだ。
「なんで日本じゃいけないの」
「だって、アメリカの方が研究が進んでいるんだもの。月にも行ったじゃない」
 なるほど。
「NASAに入るにはどうするの」
 明子ちゃんは、ここで言葉に詰まった。
「わからない。勉強するしかない、と思う」
 自信なさげに明子ちゃんは言った。

 天文クラブは一年で終わったが、明子ちゃんとは毎月のプラネタリウムの催しに通い続けた。明子ちゃんは『宇宙大作戦』というアメリカのSFドラマの再放送を観ていた。遙か未来に、人類が宇宙船で色々な星を探訪するというドラマだった。
「宇宙には、沢山の人がいるんだ。会ってみたい」
 明子ちゃんは、陶酔していた。明子ちゃんは、星の本をたくさん買っていたし、中学に入った時に天体望遠鏡まで買って貰った。多分、プラネタリウムには、もう明子ちゃんの勉強することはなかったんじゃないだろうか。でも、プラネタリウムの星空は、明子ちゃんの憧れであり続けた。

中学三年の夏休み。明子ちゃんのお父さんが癌で亡くなった。私は母とお葬式に行った。明子ちゃんとお母さんが泣いていた姿が見えた。受験生でもあったし、それから明子ちゃんにプラネタリウムに誘われることもなくなった。文通はしていたけれど、今思えば、明子ちゃんのお父さんのお葬式が明子ちゃんを見た最後だった。
やがて文通も途絶え、明子ちゃんとは年賀状だけの付き合いになった。時々、星空を見ると明子ちゃんのことを思い出す。きっとNASAへ行く勉強を続けているんだろうな。

 大学受験の時、明子ちゃんはNASAに行くために理系の大学に行くに違いないと私は思っていた。しかし、実際には高卒で就職した。明子ちゃんの家は母子家庭だから大学進学が難しいのかもね、と私の母は言っていた。その後も、結局NASAへは行かなかった。何年か後に、ごく普通の結婚をした。すべて年賀状の近況で知るのみだった。でも、結婚しました葉書に写っていた明子ちゃんは、とても幸せそうだったから、NASAに行かなくても幸せだったのだろう。

五十路を超えた年の十一月に、一通の喪中葉書が届いた。そこには、明子ちゃんが五月に永眠したとご主人の名前で書いてあった。
「嘘だっ」
思わず、私は叫んだ。まだ五十歳じゃないの。死ぬような年じゃない。明子ちゃん、何があったの。NASAに行くって言ってたじゃない。長生きすれば、宇宙旅行が出来るようになったもしれないのに。私の頬を涙が伝う。長く会っていなくても、明子ちゃんは私の最も古い友達だったのだ。しばらく悩んだが、私は明子ちゃんのご主人にスマホで電話した。癌だった。見つかった時はもう手遅れだったそうだ。

スマホを握りしめたまま外に出る。都会では星はほとんど見られない。でも、ひときわ明るさを放つ星が一つあった。明子ちゃんだ! 明子ちゃんはNASAには行けなかったけれど、自分自身がお星様になったんだ。明子ちゃんが行くところは、宇宙しかないもの。
「おーい、明子ちゃん!」
 私は夜空に向かって手を振った。

コメント

  • 悲しいお話ですが、星になったというところには希望がありますね。それにしても、友だちが亡くなるのは悲しいことです。私も五十代のときに、親友を亡くしてしまいました。奥さんから早朝に電話がかかってきて、報せてくれたのですが、絶句してなにも言えませんでした。感銘深いお話をありがとうございました。

    弾 射音 返信
    • コメントをありがとうございました。私も、付き合いが浅くなってからとはいうものの、友人を亡くしたことがありますが、あのショックさというのは筆舌に尽くしがたいものがありますね。明子ちゃんは、星になったのだから、幸せだったかもしれません。

      桐生梓 返信
  • 50歳との若さで亡くなった明子ちゃんにとって、主人公は大切な友達だったんだろうなと思うと泣けてきました。私にもいます。仲良くしてたのにお年賀だけのやりとりになってしまった人が。
    この物語を読んで近いうちに連絡してみようかなと思いました。
    桐生さん、きっかけをくださってありがとう。

    りょうべぇ 返信
    • 名古屋の科学館のプラネタリウムには、私もとてもお世話になりました。美しい星空や、解説の方の名調子も懐かしい。その後どんなに新しくて素敵なプラネタリウムに行っても、どこか物足りないと感じる自分がいます。
      幼い頃からの友達は、たとえ離れていても、どこかで時の流れを共に泳いできた、戦友のような感覚があります。明子ちゃんの訃報から受ける衝撃や喪失感に似た感情を、私も何度か経験してきて、それがよみがえってきて涙しました。
      明子ちゃんや、私の大事な人たちが、望んだところでいてくれるなら、嬉しいです。救いのある物語をありがとうございました。

      ひさぴ 返信
      • ひさぴさん、コメントをありがとうございました。最後を救いと受け取ってくださってありがとうございます。
        私にも、天に昇った友達がいます。明子ちゃんのように天文が好きだったかどうかは知りませんが、愛する人たちを今も照らしていることと思います。

        桐生梓 返信
    • コメントをありがとうございました。大抵、どなたにもお年賀だけになってしまった人っているのではないでしょうか。私にも何人かいます。それが、去年は喪中だったので、今年賀状が頂けず、近況を窺い知ることが出来ません。私は年賀状は、生死の報告状だと思っています。是非、お友達に連絡なさってください。

      桐生梓 返信
  • 掲載おめでとうございます!
    私も昔、いまは縁遠い友人とよく夜空を眺めてはとりとめのない話をして夜を過ごしたので、それを思い出して切なくなりました。

    スマホを握りしめたまま外に出る

    というところが一番好きです。

    素敵なお話、ありがとうございます

    (о´∀`о)

    フロル 返信
    • コメントをありがとうございました。古くからの友人、特に子供の頃からの友人は、忘れられないものですね。
      私の住んでいる地からは、ほとんど夜空は見えませんが、小学校の林間学校で行った場所で見た星空が素晴らしく美しかったことは一生忘れません。

      桐生梓 返信
  • 天文クラブ、私も入っていたことがあります。『あんた誰です、アンタレス』懐かしいなぁ。天文クラブから、ホントにNASAに行った方も、いらしゃるのではないかしら。
    みんな、星空を見上げて、夢を見るんだけど、いろんな事情で、あきらめたり、方向を変えたり。
    早くに親を亡くし、ご自身も若くして亡くなってしまった明子ちゃん。けして、幸福な人生とは言えないけど、星になって、友人の姿を見下ろしてる今は、あの頃見た夢が叶ったんだと思います。宇宙でいろんな人に会ってるんだろうなぁ。

    BBA 返信
    • コメントをありがとうございました。天文クラブに通っていたんですね。じゃあ、日曜日に同じプラネタリウムでお話を聞いていたんですね!男の子だったら本気でNASAへ、って考えた子もいたかもしれないけれど、この時代、女の子がそう考えるのが面白いだろうと思って書きました。明子ちゃんは、沢山の宇宙人に会っていますよね。宇宙人って、どんなかしら。

      桐生梓 返信
  • 年甲斐もなく感動して泣けてしまいました。私にも志半ばにして交通事故で亡くなった友人がいました。野球部の仲間で高校二年の夏でした。共に夢を語り合った仲間を失う気持ちは十分理解できます。それでも私たちは生きていくんです。

    これからはいつでも明子ちゃんに会えますね

    ワンダ 返信
    • コメントをありがとうございました。辛い経験をされたのですね。志半ばでの年若い死は、とりわけ本人にとっても周りにとっても辛いものです。おまけに、周りはその人がいなくなった人生を乗り越えていかなければいけない。長い時間がかかったことと思います。その方も星になられたでしょうか。天空を見上げてみてください。

      桐生梓 返信
  • 星空とは、人の気持ちを映す鏡なのだろうか。と、高校時代の友人(故人)を思い出してる自分がいる。
    五十代になった作者が、それでも友人の生涯は幸福であったろうと思うのは、経験を通して人生の答えに気付いているからなのだろう。
    人生の経験値を感じさせられて共感ひとしおです。

    栗林 返信
    • コメントをありがとうございました。明子ちゃんは、年若く亡くなって、NASAにも行けなかったけれど、いっぱい宇宙のことを知って、宇宙人の夢も見て、恐らく素敵な結婚もして、幸せだったのだと思います。これからは、地球に縛られないで宇宙旅行するのでしょう。

      桐生梓 返信
  • 読み終え(聴き終え)て、目頭が熱くなりました。

    名古屋の科学館にあるプラネタリウムは、私も一昨年に行きました。

    過去には、愛知県の小牧、東京の府中や、北海道の千歳など、赴任先にあるプラネタリウムには、何度も足を運びました。

    小中と同級生と、よく 灯りのない川原で寝そべり、星空を眺めていたものです。
    将来パイロットになりたいというその友人に誘われて 付き合って見上げていたのです。視力を良くするためです。

    その友人とは、やはり、今は年賀状でのやり取りだけですが、お互いに元気です。
    彼のパイロットへの夢は 身体検査(視力)で 断念せざるを得なかったのですが、銀行員となり、幸せな家庭を築いています。

    なぜだか、
    彼の夢を引き継いだ自分がいます。不思議です。

    玉稿を読ませて頂きながら、
    自分と友人とのことを重ね合わせていました。
    今でも よく
    あの頃のように、星空を眺めています。

    素敵な おはなしを
    ありがとうございました。

    つばさ(Open Arms) 返信
    • コメントをありがとうございました。人間とは、何故か星空を見上げるように作られているのかもしれませんね。あちらこちらのプラネタリウムに行かれたのですね。羨ましいです。
      私にも、子供時代を分け合った友達で、今は年賀状だけという友人がいますが、たとえこの先会うことがなくても、友人であることには違いないと思っています。その人と過ごした時間は、間違いなく自分の血となり肉となっていると思います。

      桐生梓 返信
  • 素敵なお話でした。
    読み終えたときに、明子ちゃんの亡くなった悲しみよりも、どこか救われた気持ちになりました。

    私も星を見るのが好きですが、これからは星を見るたびに、この話を思い出すかもしれません。

    イトキン 返信
    • コメントをありがとうございました。そして、ただ悲しいだけの話として受け取らないでくださってありがとうございます。明子ちゃんの短い人生は、好きなことに彩られて、きっと幸せだったのだと思います。星空を見たら、この話を思い出してやってください。

      桐生梓 返信
  • いつも輝く星空とともに明子さんがあると思い、じわっと涙ぐみながらも暖かい気持ちになりました。探究心と夢を持っていた魅力的な明子さん。星空と共に明子さんと過ごした幸せな子供時代は鮮烈ですね。昨年お母さんの訃報をきっかけにやり取りを再開した幼馴染みがいます。思えば私にとっていちばん古い友人です。大切にしようと思います。

    えごのき ぐみ 返信
    • 奇遇ですね。私にも、今まで年賀状だけの付き合いだったのに、去年お付き合いを再開した友人がいます。最古の友達です。遠いので会うことはかないませんが、ネットのやりとりで近況交換を始めただけですっかりそれまでやりとりしていなかった長い月日が流れていき、お互いに子供に戻っているんですよね。お互い、大事にしましょう。コメントをありがとうございました。

      桐生梓 返信

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