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雨と田中君とアジサイ

  • 2022年2月14日
紫陽花

雨と田中君とアジサイ

杜 文月

 ここのところ、近代史演習のレポートを作成するべくせっせと鶴舞図書館へ通っている。電源使用可の机を確保したいので、開館前に到着するよう逆算して、家を出て最寄りの駅から赤い地下鉄車両に乗り込む。プシュッと扉が閉まると同時に、すっと近づいてきた人から声を掛けられた。
「おはよう。まだレポートおわらんの?」
 白Tシャツとグレーのジーンズ姿の細身眼鏡男子。高校の同級生田中君だ。彼は、鶴舞公園の東に接する大学に通っている。ふたりぶんのスペースを確保し、並んで座る。
「レポート、もう少し引用文献を増やしたいから、資料収集するのにしばらくかかるかなあ」
 私が図書館へ通うようになってから、田中君と私は、地下鉄車中でたびたび顔を合わせ、どちらからともなく話すようになった。
 田中君は大学で何をしているのと聞いたら、「薄型軽量形鋼組立圧縮材の曲げに対する耐力を測定している」と、にこりともせず淡々と、でもつまらないというわけではないという風に、すらすらと、言った。
 文系の私には瞬時には意味を理解し難い単語の解説をお願いし、研究の内容について根気強く説明してもらった。建築用資材に関する研究をしているらしい。「家を作りたいんだよね」と、田中君は言った。
 鶴舞駅に車両が到着した。
 階段を登って地上に出ると、雨。
「じゃあ、また」
 田中君は無表情で言い残し、鶴舞公園の中心部に向かって雨の中すたすた東に向かって歩き出した。私は思わずその背中に声を掛けた。
「傘、持ってこなかったの」
「傘は濡れるのが嫌だからなるべく使わない。このくらいの雨なら使わない。平気だ」
「イギリスの人みたいだね」
「雨がひどくなったらカフェに入って雨宿りするんだよ」
「そう都合よくカフェないような気がするけどね…」
 私はあきれた笑いを投げてから、田中君に傘をさしかけ、横に並んで歩く。
「あ、君と相合傘したかったからって、先に言えばよかったね」
「英国風ジョークみたいなことをいうのねえ。傘に入れてあげないと、私がすごく冷たい人みたいにみえるでしょ」
「このくらいの雨ならつかわないよ。傘は」
「強情だなあ」
「…図書館いくんだろ。方向全然違う」
「アジサイが見ごろだから、見に行くことにした。だからこっちでいいの」
 ゆったり幅の並木に導かれるアプローチの先、一段高いところに鶴舞公園の見どころの一つ、噴水塔がある。
「・・・この噴水塔、古典主義のローマ様式って建築史の教授が語っとった」
 塔の最上部にある8方向に突き出た水樋からひたひたと水が落ち、花崗岩製の屋根と大理石の柱でつながれた土台を打ち、跳ね返る。
 噴水塔の先に同じ設計者による奏楽堂があり、さらに橋を渡り菖蒲園を抜けるとアジサイが咲く小道に辿り着いた。草と土と雨の匂いがする。私は、緑の中に浮かび上がり滲むような青と紫の群れに見惚れる。理系の田中君は、アジサイの花の色素がある波長の光を吸収して、ある波長の光を吸収しているなあ…とか思っているのかな、と勝手に邪推していると、ぽつりと田中君が呟いた。
「きれいだな」
「アジサイみてきれいだな、とか普通に思うんだ」
 私は新鮮な気持ちで田中君の横顔に見入った。
「なんだよそれ、人のことまるで情緒のない人みたいに扱って」
 田中君はちょっと不愉快そうに苦笑いした。でも、田中君の目線のその奥には、きっと私とは違いモノの見方が隠れているのに違いない。同じモノを見ていたとしても。それぞれの見方で、同じ対象をみているというのが面白いな、と思うのだ。
「傘、ありがとう。お礼というのもなんだけど、今日昼ごはん一緒に食べにいかない?」
 田中君が素っ気ない気持ちの読めないような表情でこちらをちらり、とみて、言った。
「うん、いきたいな。いこう。ぜひに」
 力強く私が頷くと、田中君がおかしそうに笑った。

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