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活けた花
花の誘い
朗読:竹内晶子
  
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人が亡くなったら、棺桶いっぱいに花を入れて。
それから一晩経ったら、最後のお別れをします。

あなたとの思い出はたくさんあります。ですが、あなたとの最後の記憶は、花のいい匂いがいっぱいに広がった、あのお葬式場での記憶なのです。私はただ、あなたと過ごした日々を思い出しながら泣いていました。そして、ちょっと思い出したときに花の匂いを嗅いで、どうにか悲しみを紛らわしていました。
あなたに、何もかもの選択を委ねてきた私でした。その場に立ち込める花の匂いは、そんな私を慰めているようにも、突き放しているようにも感じられました。

その匂いが忘れられなくて、あの最後の日にもらった花が花瓶の中で枯れてしまうと、私は新しい花を買いに行きました。

母の日や誰かの誕生日に、花を買いに来たことはこれまで何度かありますが、それ以外で花屋さんを訪れたことはありません。そして、誰かへのプレゼントではなく自分のために花を買うのも初めてでした。
自分のために花を選ぶというのは、難しいものです。自分の中にある、直感の「好き」という気持ちを探して、その直感に自信を持つ必要があります。そして、その「好き」を自ら選ばなくてはいけないのです。理解できるでしょうか。難しいことなのです。
私は、散々迷った挙句、……多分1時間くらい迷って、あなたが好きだった花で、…そして…あの日棺桶には入っていなかった花を選びました。自分の「好き」の見えないところを、あなたの「好き」で補填したような感じです。

私が花屋さんに行った時、お客さんは私一人だけでした。とても丁寧に接客してくれた定員さんが、綺麗に花を包んでくれて「どうぞ。」と渡してくれました。花屋さんの柔らかい空気と花の匂いが相まって、私の心の中にじんわりとあたたかいものが広がりました。もしかしたら、花の匂いが花屋さんの空気を柔らかくしているのかもしれないし、店員さんの優しい接客がそうさせているのかもしれない、それかもしくは、その両方か、その両方に胸を綻ばせた私の気持ちが、私に花屋さんの空気を、そう感じさせたのかもしれません。

家に帰って、それまであの日にもらった花を生けていたものと同じ花瓶に、今買ってきた花を生けました。ところが、花と花瓶が合っていないような気がして、その日のうちに町の食器屋さんへ、花瓶を買いに行きました。

その食器屋さんは、子どもの頃連れられて初めて自分で選んだお茶碗を買ってもらったお店でした。お店には店長さんが一人しかいなくて、その店長さんは60歳くらいのおじいさんでした。多分私が昔訪れた時も、この店長さんが接客してくれていました。
私は、昨日まで使っていた花瓶よりも少しだけ背の低い花瓶を選びました。店長さんは丁寧に花瓶を包んでくれて「重たいからね。」と渡してくれました。その食器屋さんの店内には、優しさと懐かしさが広がっていました。それは、その店長さんの存在によるものなのか、店長さんの優しさに心がほぐれた私がそう感じたのか、はたまたこのお店の食器たちがあまりにも可愛らしいからなのか。

この日はいつもよりたくさん歩いて疲れましたが、この日に感じた清々しいような気持ちは、多分一生忘れないでしょう。

家に帰って、新しい花瓶に買ってきた花を生けました。
思えば、自分ひとりで自分の欲しいものを思うままに買いに出かけたのは、ずいぶん久しぶりのような気がします。
この花瓶と花は、私が選んだもの。私のセンスで、私の為に私が選んだものなのです。誰に見せる必要もないから、別に何かに怯える必要はないのです。それに気づいた時、何だかほっとしました。

あなたが亡くならなければ、花屋さんにも食器屋さんにも行かなかったし、花の匂いをこんなに尊く思うこともなかったと思います。そして、自ら自分自身の選択をすくいあげることも。

もし、人の死が運命なのであれば、こうした全てのこととの出会いも、運命なのでしょうね。

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ヒューマンドラマ

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