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バニラのアイスクリーム
父がにやり
朗読:大谷勇次
  
劇団うりんこ

 この秋九十四歳になった父。数年前に散歩の途中で転倒し、徐々に始まった認知症。やがて頭の中から昼夜の区別が消え、曜日が消えた。大好きだった本も「意味が分からん」と読まなくなり、うんちを時々廊下にこぼすようになった。そんな自分が許せないのか信じたくないのか、次第に僕と妻に何かと当たり散らすようになった。真面目一辺倒で典型的な「いい人」だった父が日に日に変わっていった。
 一年前から繰り返されるようになったのは
「財布に入れておいた二万円がない。栄美子さんが盗んだ。わしはなくしとらんし、栄美子さんが盗んだとしか思えん」
「だから。財布がどこにあるのか俺も栄美子も知らんのに、どうやって盗むんだ」
すると、とっても嫌な感じで父が、にやりと笑い
「昭一、栄美子さんは大変な女だぞ。お前も苦労するな」
沸騰する怒りを抑え「あなたは間違っている」と真摯に説明していくのだが、彼の思い込みは回収されることなく、結局最後は二人とも疲れ果ててしまうことになる。
 ある日の夕方、その日はついに手を挙げてしまい、息子に殴られる父の恐怖に怯える顔を見た僕は、罪の意識に打ちのめされていた。
 いつもなら一時間もすると、妻を泥棒呼ばわりしたことなどケロリと忘れてしまい、僕も「ああ忘れたか」と思いっきり大きくため息をついてから平常に戻っていくのだが、その日は、立ち直れないほど落ち込んでいた。そんな僕に父は、いつもと違う何かを感じていたのだろう。
 妻の「ご飯ですよ」の呼びかけにそそくさと食卓に座ったものの、僕が沈黙を守っているので、神妙な面持ちで黙々と食べるばかりだった。僕は「尾を引いたらまずいぞ」と思い「このままではいけない」と焦っていた。

 昭和三年生まれで戦中戦後の貧しい時代を必死で生きてきた父の唯一の楽しみは、「甘いもの」を食べることだった。
 「甘ければ甘いほどいい。もう何の楽しみもないので早く死にたいけど、甘いものを食べられるうちは生きていてもいいかな」が口癖だった。
 だから夕食後のデザートにいつも甘いものを出すようにしてきたのだが、この日は、妻もタイミングを失っていた。
 三人とも食事を終えてしまい、奇妙な居心地の悪さが支配し始めた時、何故か、突然ひらめいた。
 すっくと椅子から立ち上がり、真っすぐ冷蔵庫に向かった。目指すは父が一番好きな「MOWのカップアイス」。
 所在なさげな父の前に立った僕は、それまで後ろ手に隠していたそれを、ゆっくり父の前に差し出し、ドラマ「水戸黄門」の「葵の御紋の印籠」の如くに、ぐぐっと献上した。
 父の視線がアイスにロックオンされる。一瞬きょとんとして、そして父は、
 にやりと笑ったのだ。
「ああ生きててよかった」と言い出しそうな、極上の笑いが顔いっぱいに広がっていく。
「食べていいのか」
「もちろん。嬉しいか」
「嬉しいよ。これは美味しいでな。ありがとう」
 僕は泣きそうになって妻を見た。妻はほっとした表情で微笑んでいた。その日は、もう一品サービスした。父が二番目に好きな「雪見だいふく」。
 以来、夕食後の「印籠の儀式」は毎日続いた。

 父はこの夏、近くのグループホームに入所した。自分が息子夫婦の負担になっていたことは自覚していたようだ。「いい施設があったら入りたい。ただし職員さんはかわいい女性がいい」と言うので、「かわいい女性」ばかりの施設を探した。半年待って空きが出たのだ。
 入所時に「印籠事件」のことを話し、それから「甘いもの」の差し入れを欠かさないようにした。しばらくして施設長から報告があった。
「差し入れを、おっしゃった通りに、じらしながらゆっくりと顔の前に持っていくと、それを目で捉えた瞬間、ほんとその瞬間に、にやりと笑われるんです。私たち職員も、ふっと幸せな気持ちになります。それはもう疲れが吹き飛んでしまうかわいさですよ」
 我が家の夕食後のデザートの習慣は今も続いている。僕の好物は「ジャンボモナカ」。前の席に父はいないが、父がいたその場所に向かい、食べる前にいつも僕は、にやりと笑う。

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ヒューマンドラマ

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