おとうさんの時計
「行きたくないなぁ。」
公園のベンチに座って、ついそんな独り言を言ってしまう。
6年生になって、教室はいっそう息苦しさを増した。それもこれも担任のタナセンのせいだ。タナセンはドリル至上主義で、国語の時間はいつも最後に漢字ドリルのテストをやるし、算数の時間は計算ドリルだ。早く終わると漫画が読めて、終わらないと放課中もずっとやらされる。僕はいつも遅くて、放課中みんなが遊んでる中でいつもドリルをやる羽目になる。
公園はうだるような蒸し暑さで座ってるだけなのに汗が目に入る。水筒に入っている麦茶をのむとガラガラと氷の音がした。
分団登校に遅れたのは、今日が初めてだった。昨日、単身赴任で東京にいるお父さんから手紙と、宇宙の本が送られてきて、それを夢中で読んでいたら寝るのが遅くなってしまったのだ。覚えてないけどなんだかイヤな夢を見て、飛び起きたときにはもう朝の8時だった。お母さんはとっくに妹を連れて保育園に行っている。用意してあった朝ごはんを必死にかき込んでしゃにむに走ったけど、集合場所の公園についたときにはみんなはもう行ってしまっていた。
公園の時計では8時半。もうすぐ一時間目が始まる時間だ。行かなきゃいけないことはわかってる。でも、どうせ急いでも怒られると思うと、行く気がしない。
お腹が痛くなったことにして帰ってしまおうか?
そんなことを考えていると、
「すみません。その時計貸していただけませんか?」
急にどこかから声がした。あたりを見回すけど誰もいない。
「だれ?」
「ああ、すみません。ここです。ここです。」
その声とともに、座っていたベンチからひょこっと真っ白いうさぎが顔を出した。
「うさぎ?」
「はい。そうです。どうかその時計貸してもらえませんか?」
「時計って?もしかして、これのこと?」
どうして知ってるんだろう?不思議に思いながら僕は、ランドセルから時計を取り出した。銀色の懐中時計で僕の宝物だ。
「そうです!それがぴったりなんです!」
「だめだよ。これはあげられないよ。」
5年生になったばかりの頃、お父さんが単身赴任に行く前に、お父さんが帰ってくるまで泣かずに待ってると固く男同士の約束をした。この時計は、その約束の証として僕にくれたものだった。僕はランドセルに入れていつも持ち歩いている。ドリルで最後の一人になって泣きそうなときも、約束を思い出すために。
「そうですよね。」
うさぎはがっくりときていて、今にも消えてしまいそうだった。僕は流石に可愛そうになった。
「どうして、これがほしいの?」
「実はわたしは、月から来たうさぎなんです。でも、来たときに使った宇宙船が壊れてしまって、代わりの部品を探していたんです。その時計がぴったりなんです。お願いします。必ずお返ししますから。」
僕は、昨日読んだ宇宙の本のことを思い出した。月はいつも同じ面を向いて回っているから、裏側は地球からは見えないんだ。だから、あんなに近い星なのにわかってないこともたくさんあるんだって。
「わかった。いいよ。ちゃんと返してね。」
「はい、必ず。ありがとうございます。あなたのおかげで月に帰って家族に会えます。月にあなたくらいの歳の息子がいるんです。あなたみたいな優しいうさぎになってほしい。そう思います。あなたは、地球で一番やさしい人間です。」
「地球で一番?」
「はい!それでは失礼します。」
そう言うと、うさぎは懐中時計をもってぴゅーっとどこかへ行ってしまった。
それから、僕は学校へ行った。タナセンには死ぬほど怒られたし、やっぱりドリルは一番最後だったけど、僕は泣かなかった。なぜなら僕は地球で一番やさしい人間だから。月のうさぎがそう認めてくれたから。
授業中、ふと外を見ると飛行機雲みたいな線がまっすぐ上に向かっていくのが見えた。上を見ると、昼間なのにうっすら月が見える。
次の日、朝起きると時計と手紙が机の上に置いてあった。ヘタクソな字で、ぱぱをありがとうって書かれてる。
そうだ、僕もお父さんに手紙を出そう。
なにから書こうか考えながら、僕は筆箱から鉛筆を取り出した。