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雪の降る山
雪降る夜に
朗読:今藤裕之
  
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 闇の中で赤い炎と白く凍る吐息だけが色を添える貸し切り状態の季節外れのキャンプ場。
 後方から鼾が聞こえる。酔っ払った武藤がテントの中で寝ているのだ。
 キャンプ場のチェックイン時にオーナーが言った通り、今夜は雪になるかもしれない。十一月に入ったばかりだが、冷え込みが厳しい。
 この週末で今シーズンの営業を終えるキャンプ場のオーナーの好意と勧めで、薪になり損ねた木々で火を焚いた。日が落ちる前に夕食を済ませてワインを開けたが、早朝に出発した上に長距離運転だったせいか、武藤は酒が入るとすぐにウトウトとし始めた。どうにも睡魔に勝てぬと悟ったのか、早々にテントに入ってしまったのだ。独り残された私はそのままワインを飲み続けた。けして酒に強い方ではないのだが、いつまでたっても素面のままで、頭の中はさえざえとしてくる一方だ。寒さでまったく酔いが回らない。

 ――追悼キャンプをしよう。
 提案したのは武藤だった。田口の通夜の帰り、私は武藤が運転する車の助手席に居た。
 三人は山仲間だった。会社の山岳部の部員は十人足らずで、日帰りだと参加者が増えるものの、山中泊となると決まってこの三人のみだった。
 田口は私が入部した時の部長で、山のイロハは田口に教わった。武藤は私と同時に入部したが学生時代は山岳部に所属していたこともあり、社会人になって登山を始めた田口よりも経験は豊富だった。技術も体力もない私は、山行の度に二人に叱られてばかりいたが三人での山行はいつも楽しく気楽だった。
入部して三年目に田口が急遽、山行を取り止めた。以前から肝臓の具合がよくないとは聞いており、服用している薬は視力を失う恐れがあるものだった。そんな状態での山行を田口の妻が許さなかったのは当然だろう。
 病気について田口は多くを語らなかったし、私たちも敢えて問い質したりしなかった。病が良くなれば、また一緒に山へ行けると思っていたし、そう約束もした。
 田口が山へ行かなくなって半年ほど後、武藤が会社を辞めた。突然だった。上司と上手くいっていないことは聞いていたが、結局、退職という道を選んだのだ。
 それ以来、山へは行かなくなった。山岳部も活動停止状態になったため廃部。そして、私はプロジェクトに配属となり、多忙な毎日を送ることになった。そんな中、田口の死が伝えられた。山岳部が廃部になってから二年が経っていた。
 私は久しぶりに武藤に連絡し、通夜に参列することにしたのだ。
 
 視界の中に白いものが舞い込んできた。雪だった。闇から落ちてくる細かな雪を見上げていると、武藤がテントから出てくるなり語りかけた。
「来年のゴールデンウィーク、上高地に入ろうか」
 唐沢カールに雪が残る季節に凧を上げようと三人で話したことがある。田口と一緒に行った最後の山行でのことだ。
 その山行は紅葉の季節に上高地の横尾でテントを張って、唐沢カールまで上がった。上高地のバス停から横尾までの林道は単調で、精神的には辛い行程だった。ひたすら、足を交互に前へ出すことしか考えていなかった。心の中で「右、左、右、左」と呟きながら、その先にあるものも、回りの景色も何も見ず、何も考えない。そうすることで前に進むことができたのだ。
 あの時、私達は同じ場所を目指して同じ速度で一緒に歩いていた。だが、今はバラバラだ。そして、二度と三人で歩くことはない。
「凧、持っていかなくちゃね。テン場は横尾だね。」
 私の言葉に武藤は口元を緩ませて頷いた。
 そうだ、ただ足を前に出すことだけを考えて、横尾まで行こう。三人ではないけれど、唐沢で凧揚げをしよう。そうすることで、この喪失感が埋められるとは思わないけれど、一歩を踏み出す言い訳には十分だ。
「こんなに降るとは思わなかったよ。今夜は眠れそうにないな」
 雪は武藤と私の思いを代弁するかのように降り積もっていく。静かに、途切れることなく。これで十分だ。何も語る必要など無い。やがて、雪も止むだろう。そうしたら、雪原に一歩踏み出せばいい。それは、唐沢へと向かう第一歩なのだから。

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