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居酒屋
徹さん
朗読:西尾武
  
猛烈キネマレコード

 人はなぜ働くのか。日々、会社の呑みの場や喫煙所で問いかけている。疲れからか瞳にほぼ生気が宿っていない同期曰く、食べていくため。活力全開といった様子で、爽やかに仕事をこなす優等生タイプの部下曰く、社会貢献のため。部下への無茶ぶりが十八番の上司曰く、余計なこと考えてないで、働け宮本。
 会社に勤めて10年、俺は仕事の檻に閉じ込められていた。それは仕事が苦痛であるとか、プライベートの時間がないとかいうことを示したものではない。むしろ仕事中は一心にパソコンや取引先と向き合っているため、そんな淀みを感じている暇はないし、プライベートでも、仕事の仕の字も感じず思考から完全に忘却できるほど、妻子と共に充実した時間を過ごしている。

「ならなんでこんなにも憂鬱なんだ……」
そんな俺が、今はカウンターにうつ伏せて愚痴を吐いているのだから笑える。酒気を帯びうなだれるその姿はまるで、うめき苦しむゾンビのようだろう。
「おいおい、毎回毎回酒に呑まれてんじゃねぇよ」
重みを感じさせる低い声が正面のカウンター越しから聞こえてくる。
「別にいいだろぉ?徹さぁん」
俺は声の主に間延びしたたるい声で返事をする。周りに他の客がいたら、その情けなさに冷たい目を向けてきそうだが、幸い今は左右に続くカウンターにも、後ろにあるテーブル席にもその影はなかった。
徹さんはオフィス街近辺で居酒屋を営んでおり、こうしてガランとした閉店間際には俺とサシで話す間柄にあった。
「なぁ徹さん、なんで人は働くんだろうな……」
「あぁ?そんなもんお前、知るわけねぇだろう」
ずっと自分の中で逡巡させてきた問いを一蹴され、ハッと頭を上げた。
「そんなくだらねぇこと考えてないで、ほい」
そう言ってカウンター越しに伸ばされた太い腕の先には、注文した覚えのないメニュー。
衣が立ったできたてのみそかつだった。
突然のみそかつに当惑し、徹さんに顔を向ける。
するとそこには「おあがりよ」といったような得意気な笑みがあった。
「……いただきます」
みそかつを口に運ぶと、衣の音がサクッと自分の中に響いた。咀嚼を進めると味噌のまろやかさと豚の旨味が口いっぱいに広がっていく。いずれその幸福を名残惜しくも飲みこむと、思わず言葉が溢れでた。
「うまい……!」
その後は徹さんのしたり顔を前に、ひたすらみそかつに食いつくのであった。

「ごちそうさま」
食べ終わって満足気に席を立ち上がると、ゆったりとレジに向かった。徹さんは伝票を受け取るとおぼつかない手つきでレジを打ち始める。すると同時に語り口調で俺に話しかけてきた。
「働く理由だがな、俺は縁をつなぐためだと思う」
「縁?」
「あぁ、縁だ。人との縁。……自分でつくったもんを自分で食べるだけじゃつまんねぇからな」
徹さんが照れ臭そうに笑うと、つられて笑ってしまう。
「まぁ、また来い。話くらいなら聞いてやるからよ」
「ああ、また来るよ」
徹さんの照れ隠しのような低い声に自分なりの返事をすると、財布から札と小銭を取り出す。ちょうどレジ打ちも終わったようだ。また来るよ、なんてさらっとした言葉を口にしたが、本当はこれからもずっと来ようと思った。働く理由が見つかるとは限らない。だけど、ここにいる間は、それがどうでもいいことなんじゃないかと感じることができるから。
 合計を確認するまでもないと、ビールと数品のつまみ、頼み慣れたメニュー分の金、丁度をトレイに置くと、俺は晴れやかな気持ちで帰りの引き戸に手をかけた。すると思いがけず背後から声をかけられる。
「おーい、足りねぇぞ。さっきのみそかつは800円」
「……金とるのかよ……」

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コメント

  • 「縁」は「円」だった。

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