いますぐじゃない、いつかのために
うちのグループホームは施設長が相当な変わり者ですからね。何というか、ご両親に普通の高齢者介護を受けて頂きたいのであれば、他を探してもらったほうが無難かもしれません。こないだも私がちょっと目を離した隙に高血圧の入居者さんと一緒にカップラーメン食べてたりして。しかも夕飯前ですよ。「隠れて食べるのがまた美味いんだよ」って悪びれた様子もなく。こっちは塩分量とかカロリーとか色々考えて調理してるのに。そもそも健康管理という観点がまるでないんですよ、あのオッサンは。ああ、思い出したらまたムカついてきた。ちょっと話聞いてもらってもいいですか?
「はやくお迎えが来てほしい」っていうお年寄りお得意の台詞あるじゃないですか。あれって「そんな寂しいこと言わないで」とか「長生きしてください」って返すのが社交辞令みたいなところあるじゃないですか。だってその「お迎え希望」には括弧のついた(いますぐは困るけど)っていう言外があるわけだし。そういうのって大人だったら誰でもわかりそうなものじゃないですか。でもうちの施設長は「そうか。じゃあ俺が楽に死なせてやるから」って答えちゃうような人なんですよ。いやいや、何もその場で首を絞めるような真似はしませんけどね。
昨日も違う入居者さんと車で二時間も、三時間も外出してきたんで「どこ行ってきたんですか」ってちょっと強めの口調で聞いたら、叱られた子供みたいにモゴモゴ「一緒に、下見に」とだけしか言わなくて。しょうがないんで入居者さんの方に当たってみたら「ちょっと海まで。身投げにちょうど良さそうなところを探しにね」って。にやり口角上げて笑って。その人、九十四歳のおばあちゃんなんですよ。長時間のドライブにも、慣れない潮風にも耐えられるような体力も免疫力もないんです。肺炎にでもなったらって注意して見てたら、案の定、夕方から三十八度の熱発。
流石に私「本当に死なせたらどうするつもりですか、どう責任とるつもりですか」って狭い給湯室に施設長を呼びつけて批難しました。そしたら「俺も死のうかな」って少し恥ずかしそうな表情で、ぽつりと言ったんです。その返答に私もう我慢出来なくなって「そんなの無責任です」って怒鳴っちゃいましたよ。ね、ムカつきません? カッコつけてるつもりかもしれませんけど思考停止ですよそんなの。職業人としてあってはならない返答を、施設の責任者が口にしちゃうなんて。あんまりにも私が怒るもんだから「冗談だよ、冗談」って誤魔化そうとするんですけど、ふと、本当にそうなったら、この人、ふらっといなくなっちゃうかもなって思いました。そもそも施設長自身もどこか「お迎え」を待ってるところあるような雰囲気があって。若い頃、家族を事故で亡くされて以降一人きりだし…… いや、だからって入居者さんの身投げ場所探しに行くだなんて。しかもそのあと自分も死ぬんだったら、ある種、心中みたいなもんじゃないですか。周囲の者はたまったものじゃないですよ。
私はやっぱり施設長が正しいとは思いません。でも施設長みたいに振舞えない自分に妙な後ろめたさを覚えているのも事実です。矛盾してるかもですが、だから私はここを辞めずに頑張ってるんだと思います。
あ、すいません。なんだかアツくなっちゃって、自分語りしちゃったみたいでお恥ずかしい。でも安心してください、幸いなことに、この施設で命にかかわるような事故は起こっていません。むしろ、ここの入居者さんはみんな長生きされてますよ。「早く死にてえのに困るなあ」って笑ってるくらいです。
ああ、熱出したおばあちゃんですか? 大丈夫ですよ、朝にはケロッと良くなって、昨日道の駅で買ってきた海老せんべい食べてますよ。いや、それだって夜勤のスタッフが水分摂取やら温度調整やら頑張ったからですよ。まったく、歯も揃ってないのにあんな固形物、誤嚥でも起こしたらどうするつもりなんだって思いますけど。あの満足そうにせんべい齧ってる顔見たら、ねえ…… 他の施設じゃ考えられないでしょうね、きっと。
と、まあうちはこんな施設ですけど、どうされますか、ご両親の契約。
小山田里奈さんの朗読は、素晴らしかったです。
介護施設には、亡き母も4年半お世話になりましたが私が現役で通勤できたのも介護施設の皆さんの暖かいサポートがあったからと感謝しています。
この作品には、そんな暖かな雰囲気と人間的な触れあいが感じられました。
村松哲彦さまへ
小山田さんの朗読、イメージ通りで、書き手としても嬉しい限りでした。また他にも介護を主題にした当方の作品がいくつかありますので、もし気が向いたらのぞいてみてください。ありがとうございました。