NAGOYA Voicy Novels Cabinet

推しの好物ナポリタン

ナポリタン

 11時45分。昼休み開始のベルがオフィス内に響き渡ると同時に、財布と携帯を手に取り私は駆け出した。

 毎週水曜日、喫茶「ナポリ」の日替わり定食のメニューは、「ナポリタン定食、スープサラダドリンク付き、880円」
行くしかない。

 喫茶「ナポリ」のメニューはどれも一度食べたらやみつきになる確かな味で、特にナポリタンは名物メニューなのだが、喫煙者への風当たりが強いこの時代に、分煙どころか全席喫煙オーケーだし、狭い店内で相席が当たり前なので、同じ課の女性社員は寄り付かない。
彼女たちが放つ同僚や上司の陰口や、彼氏や旦那のマウントの取り合いから逃れ、唯一癒される貴重な1時間なのだ。彼氏や旦那なんてどうでもいい。推しのタクミくんさえいれば。
そんなことを喫茶「ナポリ」へ小走りで向かいながら考える。
12時を過ぎるとサラリーマンたちで混雑する。今日は幸運にも窓際の2名がけの席を確保できた。

 「日替わり定食、ドリンクはアイスコーヒーで食事と一緒にお願いします」

 「ナポリ」のナポリタンは鉄板に乗ってやってくる。作り物のように鮮やかな色をしたソーセージと、ナポリタンの下に敷かれた卵のコントラストには思わずため息がこぼれる。鉄板のおかげで熱々のまま提供されるのもポイントが高い。
そう、私の好物は言わずもがな、ナポリタンである。
実は推しのタクミくんがラジオで、「こないだの名古屋ロケで食べたナポリタンがめちゃうまくて、大好物になりました」と発言したからである。
それまで私はクリーム系のパスタを愛する女だったが、推しの好物がナポリタンになったその日から、ナポリタンを愛する女になった。推しが愛するものを私も愛する、なんて幸せ者なのだろう。
「あのー、それおいしいですか?」
急に現実に引き戻され、ナポリタンを頬張ったまま驚いて顔を上げると、向かいに座っている男が私のナポリタンを指差していた。
「…はい、この店の名物ですし。食べたことないんですか?」
「僕、こっち来たばかりなので…あまりに幸せそうな顔してるから気になって」
ナポリタンは名物メニューだし、味は確かなのは間違いないが、私が幸せそうだったのはおそらくタクミくんのことを考えていたからだ。
そんなこともつゆ知らず、男は日替わり定食を頼み、ナポリタンを美味しそうに頬張っていた。
首からぶら下げている社員証によるとその男は森川と言う名前らしい。

 私は水曜日は「ナポリ」へ行き、それ以外は社員食堂で500円の定食を食べることにしている。推しを感じられる週に一度の楽しみがあるから、何事も乗り越えられるものだ。

 毎週水曜日、森川が私を見つけると「相席いいですか?」と、一緒にナポリタンを食べるようになった。はじめのうちは貴重な癒しの時間を奪われたような気もしたが、森川は必要以上に話しかけてこない。
ただナポリタンを無心に頬張る、奇妙だがどこか居心地の良い関係だった。

 「ナポ子さんって」
 「え?」
 「ナポリタンの日しか来ないんですか?ここ、オムライスも生姜焼きも美味しいのに。」
 「私はナポリタンが好きなので…」
 「この店、夜は毎日ナポリタン出してるって知ってます?」
 「いや…そうなんですか」
 「名物ですからね、ナポリタンは」
 「はあ」
 「つまり、その…今度夜一緒に来ませんか?」
 「え?」
 「もっと知りたいんです、ナポ子さんのこと」
 「えーっとまず、その呼び方やめてもらえます?」
 森川の真剣な眼差しと「ナポ子さん」と言う呼び名のギャップがおかしくて、つい吹き出してしまった。
 「笑った顔もかわいいです」
 大真面目にそう言う森川のことを私は好きになってしまったらしい。

 さて、愛知県名古屋市のラジオネーム、ナポ子さんからのお便りです。『タクミくんこんばんは!実はタクミくんのラジオがきっかけでナポリタンが好物になったのですが、そのナポリタンのおかげで先日彼氏が出来ました!本当にありがとう!』えー!俺がキューピッドってこと?ナポ子さん、お幸せに!」

 推しが恋のキューピッドになる世界線、ナポリタン恐るべし。

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