皆様初めまして。僕の個展に足を運んでいただいてありがとうございます。
個展をご覧になる前に少しだけ拙文にお付き合いください。
皆様のお目当てはズバリ一つ。日本画家コンクールにおいて、歴代最年少の高校生が日本一に輝いた作品「曙」でしょう。
この作品は私が16歳の頃、初めてコンクールに出したものです。
今だから告白しますが、あれは高尚な絵なんかじゃありません。夏休みの宿題で出た写生の宿題に飽きて、地元の文房具屋で買った安いキャンバスに適当に色を乗っけて遊んでいたものを、友達がコンクールに出しただけなんです。受賞したと聞いた時はどうせドッキリだと信じていませんでした。
その後、様々なメディアに取り上げられ、期待の新人と持て囃されました。これからの日本画壇を引っ張っていくのは君だと期待され、自分も期待に応えたくて、必死に頑張りました。
頑張ったけれどダメでした。
続くコンクールには落ち続けました。僕の作品には独自性がなく、常に誰かの作風に似ているらしいのです。
終いには代表作の「曙」すら、盗作だと噂が立ちました。高校生があんな絵を描けるわけがないと僻まれ、絵を描くことが辛くて怖くて。
そんな妬みに負けたくなくて、震える手で筆を取り続けました。
けれど、それももう辞めました。
尊敬していた先生から全て盗作だと決めつけられ、コンクールへの出場権を剥奪されました。
もう怒る気力もありませんでした。こんなことに意味はない。努力しても無駄だった。そう嘆かずにはいられませんでした。もう一枚も描きたくなかったのです。
ところが、自宅のアトリエを乱雑に処分していたとき、一枚だけ真っ白なキャンパスを見つけました。画家という生き物は不思議なもので、もう絵なんて全く描きたくないのに、キャンパスを見ていると絵について考えてしまうのです。
画家最後の一枚を描くのなら、これまでに習得した技法を全て使うだろうな。構図や配色、テーマや美術効果、その全てを詰め込んだ作品になるかな、とあれこれ想いを馳せました。
そこであることに気づきました。
僕はどうやって描くかばっかりに気を取られて、どうして描きたいかに意識を向けていませんでした。何のメッセージ性もない絵など何も伝わってこない。盗作だと謗られても何も言い返せなかったのは、自分自身の想いを描いていなかったからではないか。人生最後の絵に自分が伝えたいメッセージは何か、キャンパスをちゃんと立てかけて沸々と考えました。
まずはこの世の理不尽に対して怒りました。勝手に期待して勝手に落胆した世の中に怒りました。盗作だと勝手に決めつけて騒ぎ立て、高校生の夢を潰すことに罪悪感の湧かない大人たちに怒りました。
その次に努力では埋められない才能を嘆きました。盗作疑惑を払い除けられない自分の実力と才能を嘆きました。
そうして最後。
色んな感情でぐちゃぐちゃに泣きながら、僕が最後に出した想いは両親への感謝でした。
「曙」で賞を受賞した時、一番喜んでくれたのは両親でした。安月給の父さんは親戚に借金してまで、僕を美術予備校に入れてくれました。母さんは毎朝4時に起きてお弁当を作り、ボロボロになって帰ってくる僕を励まして支え続けてくれました。二人ともただの偶然で受賞しただけの、才能のない僕を愛して、ずっと信じてくれました。
二人のために描きたい。
何も成せなかった残念な息子だけど、これまでの感謝を込めて、全身全霊で二人のために描きたい。
泣きながら、ありがとうと叫びながら、僕は笑顔の肖像画を描きました。
この個展は僕にとって最初で最後の個展です。もう盗作だなんだと言われても何も思いません。みなさんもお好きなだけ「曙」をご覧になってください。他の絵は駄作だらけですがご希望の方がいらっしゃればお売りします。
ただし、最後に飾られている男女の肖像画は非売品です。僕にとっては「曙」よりも価値のある作品で値段がつけれないし、実は予約済みなのです。最終日に来てくれるその二人に手渡す瞬間を今から心待ちにしています。