NAGOYA Voicy Novels Cabinet

40代少女漫画家の悩み

パソコンとお菓子とマグカップ

 若さは無敵だ。
 そんな当たり前の現実に直面し、40代半ばの私は、パソコンを前に、一人で勝手に打ちひしがれている。ふと、手元に視線を落とすと、マウスを動かす手の青い血管が目立つようになった気もするし、唯一のチャームポイントであった声さえも、心なしかトーンが低くなってきたような……、あぁ、むなしい。私は何のために、この狭いマンションの一室から一歩も出ずに、孤独な作業を続けなければならないのだろうか。
 
 「勿論、生活のためよ」と、一人娘の里奈が、ほろ苦いショコラの香りを漂わせながら、書斎に入ってきた。里奈が運んできたブラジルショコラとプラリネトリュフの組み合わせは、アイデアに煮詰まった時の私のカンフル剤だ。里奈はオリゴのマグカップをサイドテーブルに置いた後「そうそう、これも。チェックしたいって、言ってた映画のBlu-ray」とシミひとつないつるりとした顔を近づけて、にっこり笑いながらディスクを手渡すと、慌ただしく出ていった。今日は休日だが、模試か英検のどちらかを受けるのだろう、高校生も忙しそうだ。
 本来なら、趣味と実益を兼ねた青春映画視聴。でも、最近では画面上の俳優達の溌剌とした生命力があまりにもまぶしすぎて、なんだか、淋しいような、とり残されたような不思議な感覚に陥るようになってしまっている。とはいえ、次回作の大事な資料でもあるので、避けるわけにもいかず、ため息をつきながら、珈琲片手に受け取ったディスクジャケットを机の上に立てかけてみた。

 夫が「距離を置きたい」と言って私達から離れた時、私はまだ30代半ばだった。思いのほか彼とあっさり別れることができたのは、多分あの時の年齢も無関係ではなかったはずだ。彼からの養育費、両親の遺産、僅かではあるが私自身の漫画家としての報酬、それらを天秤にかけた時、贅沢をしなければ暮らしていけるという、若さゆえの過信が大きな決断の後押しをしたのだ。また、再び自由を手にできる喜びも大きかった。新しい未来に立ち向かう何かがあの頃の私には存在していたのだろう。

 結局、私は何を求めていたのだろうか。名古屋在住の少女漫画家としての仕事がしたかった、わけではない。たまたま、知り合いの編集者から声かけがあり、需要があるなら、と軽い気持ちで引き受けてズルズルと続けているのだ。里奈のため、生きるため、理由としては嘘ではないが、きっと、そのことを言い訳として、ずっと私は本心から逃げていたのだ。

 そんな中、私は、ある日唐突に、ボーイズラブの世界に魅せられてしまう。ボーイズラブ映画における恋愛感情表現は、とても、繊細だ。言葉だけではなく表情、目、手の指先など人間のあらゆる五感や五官を駆使して、自分の真摯な思いを相手に伝えていく。エロティックな描写のイメージが先行して、食わず嫌いの分野の映画だったが、本来ならストレートな性癖を持つ男優達が、文字通り身体を張って、自分の感情をコントロールしながら、ごく当たり前のようにスクリーンの中で自然と呼吸している姿に、自分の気持ちを持っていかれてしまうことがある。彼らの真っ直ぐで揺るぎない演技姿勢が、私の心の琴線に触れるからかもしれない。
 映像の中で、彼らは、唯一無二の自らのプラトンの半身に出会えた時、戸惑い傷つきながらも、決して自分の心に蓋をすることはしない。異性愛、同性愛という枠組みを超えて、人が人を好きになる、そこには、嘘のない純粋な感情しかなく、例えそれが演技だとしても、私は素直に感動を覚えてしまうのだ。

 窓辺に立ち、手を振りながら、里奈の後ろ姿を見送る。余分な贅肉のないすっきりとしたセーラー服姿は、プランターで育てているチューリップのつぼみを思わせる。遅かれ早かれ、里奈も自分自身の花を綺麗に咲かせるためにこの家から旅立つことになるのだろう。
 その時、私は、今日のように笑って見送ることができるのだろうか。もしかしたら、今が自分と向き合う最後のチャンスなのかもしれない。剥がれ落ちつつある若さの代わりとなる武器を見つけるタイムリミットは、もう目の前に迫っている。

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