NAGOYA Voicy Novels Cabinet

コトリトマラズ

高原

 別れ話とわかった瞬間、ミナミは腹が立って何も言わずに電話を切った。アプリで知り合って半年、今度こそうまくいくと思っていたのに。もう耐えられないんだったら早く言えよ。スマホで新しい男を検索しても、イライラして全然頭に入ってこない。
 そうだ、プロフィール写真を撮り直そう。上手な人にいい感じに撮ってもらおう。この前、会社の保田が高いカメラを買ったとか言っていた。30代後半で役職無し。GWにわざわざ見たい顔ではないけれど、あいつなら予定もないだろう。LINEにもすぐに既読がついた。
  明日ですか?  空いてます
 茶臼山は芝桜が綺麗なんですよと返信して、スタンプも送る。Wikipediaも送って、後はお任せしまーす(ハート)。ダルいけど、部屋で自撮りだと格好がつかない。一緒に来た友だちに撮ってもらった感を出すことが大切なのだ。一面ピンクの高原なら、絶対映える。
 翌朝、シルバーの軽で最寄り駅に迎えに来た保田は、ウィンドブレーカーを羽織っていた。知り合いに見られないかヒヤヒヤして後ろのドアを開けると、大きなリュックサックが置いてある。二人分のおにぎりとお茶は調達済みで、すっかりピクニック気分らしい。仕方なく、助手席に回って乗り込んだ。
 「カメラはまだほとんど使ってないんですよー。それより高木さん意外でした、自然お好きなんですね」
 保田は一人でテンションが上がって、画素がどうしたと会社とは違ってよくしゃべった。

 着いてみると、ところが少しも芝桜が咲いていないのだ。桜というのに、HPを見たら、開花はまだ先らしい。高速に乗らないから2時間もかかったのに、どうして保田は調べてこなかったんだろう。しかも思ってたより寒い。
 「いい天気でよかったですね」
 がっかりした様子もなく、保田は山の方へ歩き始めた。ミナミに構わずどんどん先へ進んでしまう。
 追いかけて文句を言おうとしたら、割と綺麗な草原で、ここで写真を撮ろうかと思い直した。
 保田もリュックサックからカメラを取り出して、
 「すごいですよこれ」
ミナミはニッコリ笑いかけて、保田の指の先を見ると、糞がある。すごいですよね、何かの動物ですね。気がついてみると、スニーカーの爪先にも糞が落ちている。緑の草原かと思ったら、あたり一面糞だらけだ。保田は大喜びで写真を撮りまくっている。信じられない。
 「大丈夫ですよ、登山道には落ちてないです」
 見当違いの保田はもう先へ行ってしまう。もうはやく帰りたいのにどうしようもない。貴重な休日に一体何してるんだろう。
 保田はかがんで植物の根元に立てられた札を読んでいる。
 「コトリトマラズ、だそうです」
 嬉しそうにスマホの画面を見ながら、
 「メギ、とも言うそうです。目玉の目に植物の木で目木。眼薬になるかららしいです。コトリトマラズは和名で、枝には鋭いトゲが伸びているから小鳥も止まらないってことらしい、なるほど」
 と言って、今度はそれを撮り始めた。
 こんなの、花はちいさくて地味だし、小鳥にだって気づかれないんじゃないの。欲しかったのは芝桜なのだ。せめてバラならよかったのに、こんなんじゃプロフィールには使えない。
 「素朴な樹ですね、こんなに可愛いと小鳥も止まってしまうかもしれないな」
 写真を撮り続ける保田を置いて、ミナミは先を進んだ。登ってきた保田はにこっと笑った。
 「楽しいですね」
 30分も登ると山頂に出た。風が強い。HPが県下では一番の標高と自慢するだけあって、見晴らしだけはいい。向かいはさっきの芝桜の丘だ。ミナミは、思わずあっと声が出た。
 「どうしました?」
 「影が」
 ミナミは丘を指さした。丘の上を、大きな雲の影がゆっくりと移動している。
 「影の山登りですね」
 保田はシャッターを切り、それから影を見た。ミナミもじっと眺めていた。雲が行ってしまうと、次の雲が来るのを待って、二人はじっと眺めていた。

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