NAGOYA Voicy Novels Cabinet

スタートライン

グラウンドのスタートライン

母と妹が走る姿をとらえて、沿道から声援を送る。名古屋ウィメンズマラソンの序盤は、地下鉄桜通線に沿ったコースを走る。ゼッケンナンバーのアルファベット毎にグループを作って一斉にスタートするので、目を凝らさなければ、いつも見ている家族の顔すら見落としてしまう。大きな声で呼びかけると、気づいて手を振ってくれた。ほんの一瞬だった。沢山の人の流れの中で、自分たちだけが道路脇に出てしまっては他のランナーに迷惑が掛かるから、仕方がない。だが、二人がひどく遠くに感じた。
 応援に回っているが、元々、家族の中で一番スポーツが得意なのは私だ。小学生の時はスカウトされて陸上部に入った。中学校生活は陸上と縁のない生活を送ったが、物足りなかった。そして高校生になって、再度、いや今度は自らの意思で陸上部に入部した。
 ところが、一年目の夏の合宿で、足を疲労骨折した。監督には「無理をするな」と言われていた。合宿場の階段を下りる姿が明らかに負傷者のそれだったからだ。それにもかかわらず、意地を張ってテーピングでごまかして、最後まで練習メニューをこなした。夏休み直前に行われたデビュー戦で、思うように結果を出せなかったことへの焦りがあったからだ。間もなくその無謀な行動を後悔することになる。怪我が治って練習を再開しても、タイムが縮まらない。それどころか、今までできていた練習さえ、ままならなかった。ちょうど、陸上部がシーズンオフにさしかかる秋のことだった。気持ちはとうに無くなっていた。高校生活の部活動は、たったの半年で幕を閉じた。
 奇しくも母校の最寄り駅は、今、立っている場所、桜山駅だった。三年間、名古屋駅から桜通線に揺られて通った。だから、マラソンのコースを初めて見た時、見慣れた駅名が並んでいるのに、逆に心がざわついてしまった――入部してすぐに、桜山駅で待ち合わせて、みんなでスパイクを買いに行ったこと。練習の後に食べたかき氷。合同練習の後、新瑞橋駅のイオンでプリクラを撮ったこと。そして、毎週土曜日は瑞穂陸上競技場で活動したこと……。ほんの半年間に詰まった思い出たち。優しかった部員のみんなは、私が退部した後も変わらず仲良くしてくれた。してくれようとした。それを私が避けたのだ。意地を張って、怪我をして、すねて、やる気をなくして、傷ついて。辞める前からわかっていた、全部自業自得だ。疲労骨折は、治せない怪我ではなかった。治すための忍耐と、もう一度競技に向き合う勇気がなかっただけだ。それでも、何かのせいにしたかった。だから私は、自分に「怪我をさせて」「やる気を失わせた」陸上を嫌いになった。
 母と妹の晴れの瞬間を見たいと思い、最後の応援場所をゴール付近に移した。42kmを走り終えようとするランナーたちは、まさに疲労困憊。ほとんど足が上がらず、気力と、腕の振りだけで前に進もうとしていた。それでも、私たちの応援の声に顔を上げ、笑顔を見せてくれる。手を伸ばして、ハイタッチをしてくれる人もいる。いつの間にか、応援が涙声になってしまった。目の前のランナーへの称賛。そして、過去の自分への後悔が混ざっていた。
 あの日から一年。今日私は、スタート地点に立っている。名古屋シティマラソンのクォーター、つまり10kmの部に出場する。10kmは、陸上部時代ならば毎日のように走っていた距離だ。でも今は、それを走り切ることを「目標」としている。そこから始めたいのだ。クォーターマラソンのコースは、ナゴヤドームをスタートしてから、ひたすらに桜通線沿線を走る。勿論、桜山も通って。そして、ゴールは瑞穂陸上競技場だ。ライバルは高校生の時の私。見ていてよ、走り切って、ほろ苦い思い出の場所を、マラソン大会で「完走した道」に変えてあげるから。そうしたらまた、少しずつ、陸上やろうよ。

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