NAGOYA Voicy Novels Cabinet

でたらめ経

むかし、あるところに、それはそれは、正直なおばあさんが、住んでいました。けれども、このおばあさんは、子も無ければ、孫も無いので、ほんとうの一人ぼっちでした。その上、おばあさんの住んでいた所は、寂しい野原の一軒家で、となりの村へ行くのには、高い山の峠を、越さねばなりませんでしたし、また、別のとなり村へ行くには、大きな川を、渡らねばなりませんでした。
だから、おばあさんは、毎日々々、仏様の前に坐って、鉦(かね)ばかり叩いていました。きっと、このおばあさんにも、以前は子や、孫が、あったのかも知れません。それが、みんなおばあさんより先に死んで、仏様になったのかも知れません。だから、寂しいので、そうして、毎日、仏様ばかり、拝んでいたのでしょう。
それに、食べるものは裏の畑に出来ましたし、お米は、月に一度か、二ヶ月に一度、川向うの村へ買いに行くので、用は足りましたし、水は、表の森のそばに、綺麗な綺麗な、水晶のようなのが、湧いていましたし、だから、おばあさんは何にも心配する事も、用事もない訳でした。
ただ、時々近くの街道を往来する、旅の人が、足を疲らしたり、咽喉をかわかしたりして、おばあさんの家へ
「一ぷくさしてくれ」とか。
「水を一ぱい御馳走になりたい」とか、言って、寄ることがある位のものでした。
ある日の、夕方のことでした。一人の旅人が、この家の前を通りかかりまして「これから急用があって、夜通しで山を越えて行かねばならぬ者だが、少し休ましてほしい」と、おばあさんに頼みました。
「お安いことじゃ。どうぞ遠慮なくお休みなさい」と、おばあさんは云いました。
そこで、旅人は、おばあさんから、お茶などを呼ばれながら、縁側に腰を下ろして、しばらく休んでいましたが、さて、疲れもなおりましたので、「おばあさん、いろいろ御馳走さまでした」と、言って、お礼に、少しばかりのお金を、紙に包んでおこうとしますと。
「そんなものは入りません、どうぞこれはおしまい下さい」と、おばあさんはびっくりした顔をして云いました。「わたしの家は御覧の通り、茶店を商売にしている訳ではありません。それに、こんなものをいただくほど、お世話もしないのですから、これは、どうぞおしまい下さい」
「いや、それはそうであろうが、これはわしのほんの志なんだから、どうか取っておいて下さい」と、旅人はまた、旅人で、いろいろに言って勧めましたが、どうしてもおばあさんの方では、受取ろうとしません。
が、おばあさんは、ふと、何か思いついたと見えて、「そんなら旅の方」と、云いました。「そんなら、わたしの方からお願いして、外(ほか)のものを、お礼にいただきましょう」
「外のものというのは、どういうものですか?」と、旅人は、不思議そうな顔をして聞きかえしました。
「外のものというのは、外のものでもありませんが」と、おばあさんが云いますには「御覧の通り、わたしは年寄で、こんな一軒家に一人ぼっちで住んでいるものですから、外に何の楽みもありませんですから、お金などをいただいても、つかい道がありません。折角いただいても…いただくのなら、つかい道のあるものと思いまして…」
「おばあさんにつかい道があるものというのは、何だね?」と、旅人は、おばあさんの話が廻りくどいので、こう急き立てて、聞きました。
「それはね、ほら、あそこに仏壇がありますでしょう」と、おばあさんは、やっぱり落着いた調子。
「わたしは暇さえあると、あそこにお線香を立てたり、花を立てたりして、そして、ただ鉦を叩いて拝んでいるだけなのでございます…」
「その〜仏様が、一体どうしたというんだい、おばあさん?」と、旅人は、少しイライラしながら、尋ねました。
「それで、おばあさんは、わしに、何がほしいというんです?」
「それで、そのわたしは」と、おばあさんは相変らず、ゆっくりと「そうして毎日暇さえあると、鉦を叩いて拝んでいるのですが、ただ拝んでいるばかりで、お経の文句を…少しも知らないもんですから、誠に不自由をしているんでございます。それで、旅の方、わたしのお願いというのは、お経の文句を教えていただきたいので、それならわたしに早速有難く、つかい道があります訳で…」
「お経の文句!」と旅人は頓狂(とんきょう)な声で云いました。何故頓狂な声で云ったかというと、旅人は生憎(あいにく)、お経の文句なぞ、少しも知らなかったからでした。おばあさんはそんな事とは知りませんから。
「ね、旅の方、お見受けしたところ、あなたは、お立派な方だから、きっと、お経の文句を、御存知に違いない。どうぞ、ほんの少しでも宜いから、教えて下さいませ、お願いでございます」と、頼みました。
〜お立派な方〜と、云われたので、旅人は嬉しくなってしまいました。これで、お経の文句を知らないなぞといったら、恥かしいわけだと思いましたので、「そりゃ〜お経の文句ぐらいなら、知っているが…」と、答えました。
「御存知なら、どうぞ、旅の方、是非お教え下さいませ。実は、これまでにいろんなお方に、お願いしたのですが、この辺を通る方に、お経の文句を知ってる人が、一人もありませんので…今日こうしてあなた様が、お見えになったのは、仏様のお引合せに違いありません。さあ、どうぞお教え下さい」
こう云われると、ますます旅人は後へ引けなくなりました。と云って、今も云った通り、お経の文句など、一言も知らないのですから。
「さあ、どうぞ、どうぞお教え下さい!」
と、おばあさんに催促されて、本当に困ってしまいました。で、キョロキョロと、あっちを見たり、こっちを見たりして、初めのうちは、おばあさんの隙をうかがって、逃げ出そうと思った位ですが、何を云うにもおばあさんが余り真面目で正直な者ですから、そんな狡(ずる)い事をして、逃げる事もなりません。
おばあさんは、もう鉦を前において、旅人が口を開くのをじっと待っている様子です。
仕様がないので、旅人は度胸をきめて、何かお経の種になるものはないかと、ふと、家の奥の方を見ますと、おばあさんの大切な仏壇が、外のどの道具よりも目立って、立派にキラキラと光っています。仏壇の中には線香をくすべる香炉があります。香炉の傍には花立があります。
「さあ、どうぞ早く教えて下さい」
と、おばあさんが急き立てるものですから、旅人は困った余り、ふと思いついて、出鱈目に、しかし出来るだけ、お経らしい節をつけて、
「香炉や、花立や、花立や、香炉や〜」と唱えました。
すると、おばあさんは、その文句と節をそっくり真似て、
「香炉や、花立や、花立や、香炉や〜」と云って、「チン」と叩き馴れた鉦を、叩きました。
よく合いました。
そこで「これはまったく覚えいいお経で、ほんとうに有難う存じます。どうぞ、その先を、ついでに、もう少し、お教え下さい」と頼みました。
旅人は困って、もう一度、
「香炉や、花立や、花立や、香炉や……」と、同じことを云っているうちに、何か外のものを見つけて、それを読み込もうと気をくばっていますと、仏壇の棚のところに、鼠がチョロチョロと、出て来ました。旅人は心の中で、「これだ!」と、思ったものですから、早速、声を張り上げて、「鼠が〜一疋御入来、鼠が一疋、御入来」と続けているうちに、棚の上の鼠はチョロチョロと、逃げて行ってしまいましたので、「かと思ったら、すぐに逃げてしまったア〜」と、云いました。
おばあさんは、そんな事とは、知りませんから。それが真面目なお経だと思って、「鼠が一疋御入来、鼠が一疋御入来。かと思ったら、すぐに逃げてしまったア」と、唱えて、そこでまた、「チン」と鉦を叩きました。「ほんとうに、これはこれは分りやすい、結構なお経でございます」と、おばあさんは大喜びでいいました。「これなら、わたしのような年寄りでも、よく覚えられます。旅の方、どうぞ、もう少し、その先をお教え下さいませ。」
旅人は、また困りましたが、仕様がありませんので、その先を「鼠が一疋御入来、かと思ったら、すぐに逃げてしまったア〜」とくり返して唱えているうちに、何か思いつくだろうと、仏壇の方を見ていますと、先(さっき)の棚の上に、今度は鼠が二疋連れで、チョロチョロと、何か相談し合うような恰好で歩いて来ました。そこで旅人は、早速、「今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来〜」と云っているうちに、どうしたのか、二疋は大急ぎで、逃げて帰ってしまいましたので、旅人はこれもお経の種にして、「ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア〜」と云って、もうこの先を頼まれたら、本当に困ってしまうと思ったものですから、「さア、これだけで一と切りです。」と、云いました。
「今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来。ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア〜」とおばあさんは相変らず大真面目で、旅人の唱えた通りに唱えて、「チン」と上手に拍子をとって鉦を叩きました。そして、大へん満足したように、「どうも結構な、覚えいいお経を教えて下さいまして、有難う存じます。では、旅の方、初めからわたしが一人で、もう一度さらえて見ますから、間違いないか、聞いておって下さいませ」と云って、「香炉や、花立や、花立や、香炉や、鼠が一疋御入来、かと思ったら、すぐに逃げてしまったア。今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来。ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア。チン、チン。」
それを半分まで聞いていないうちに「結構々々」と、旅人は、可笑しくて、たまらなくなりましたので、そっと逃げて行ってしまいました。

その晩のことでした。そういう正直なおばあさんの家のことですから、別に夜になっても、戸締りをするようなことはありません。ただ、冬は寒い風が吹く時に戸を締めておき、夏は暑苦しい時に戸を開け放しておくといった風でした。
その晩、隣村から山を越えて来て、別の隣村の方へ川を渡って行こうとする、二人連れの男がこのおばあさんの家の前を通りかかりました。この二人は泥棒が商売で、これから川を越して向うの村へ着くと、夜中頃になりますから、そこでひと仕事をするつもりだったのです。が、泥棒のことですから、ふと、このおばあさんの家の前を通りかかると、
戸が開け放しになっていて、目星い物はなさそうですが。
「行きがけの駄賃だ」という考えで、ひと稼ぎしようと思いました。
覗いて見ますと、中に一人のおばあさんが、仏壇の前に、坐っているだけで、外に、人のいる気配がしません。
そこで、泥棒の甲が乙に、
「おい、お前、ここで張番をしていてくれ。こんな寂しいところだから、人の通りかかるようなことはないだろうが、もし、この家の者で外に出ている奴があって、そいつが、帰って来たりするようなことがあると事だから。おれ一人で沢山だ」と、云いました。
その時、家の中では、おばあさんが、昼間の旅人から習った、お経を始めるところでした。
「香炉や、花立や、花立や、香炉や…」
そこへ、泥棒の甲が、ソッとおばあさんに見えないように、家の中に忍び込んで行きました。ところが、ビックリしました。
「鼠が一疋御入来…」と、おばあさんが云っています。
人のことを鼠だと云うばかりでなく、見えるはずがないのに、人が入って来たのが見えるのかしらと、泥棒は思って、気味が悪くなったものですから、一度表へ引返そうとしますと。
おばあさんのお経は続いて「かと思ったら、すぐに逃げてしまったア…」
泥棒の甲は、もうビックリしてしまって、あわてて、表に飛び出して待っていた相棒に、「どうも気味の悪い家だよ、」と、云いました。「たしかに家の中にはおばあさんが、一人しかいないんだが、どうも気味の悪いおばあさんだよ。頼むから、お前も一緒に行って見てくれないか。」
そこで、今度は二人連れで、そッと家の中に忍び込みました。忍び足で歩きながら、泥棒の甲が、乙に、
「あのおばあさんだよ。ああして、向う向いていながら、後に目があるんじゃアないかと思うんだ」と、耳の傍で云っている時に。
「今度は二疋連れで、何だか相談をしながら、ちょろちょろと御入来、チン」と、鉦を叩きながらおばあさんが、お経の文句を続けました。泥棒は、それが出鱈目に教わったお経を読んでいるのだとは気がつきませんから、びっくりして、あわてて、引返そうとしますと、「ところが驚いて、大急ぎで逃げて帰ったア。チン、」と、おばあさんはお経をつづけました。
それを背中に聞きながら、二人の泥棒は、夢中で表に逃げて出ました。「ああ、驚いた。あのおばあさんは何だろう。きっと化物か何かだよ。後に目があるんだよ。しかも人のことを鼠だなんて…畜生!」と、いい合いながら、二人の泥棒は川の岸のところまで、後も見ないで、息を切らして逃げて来ました。そして、ホッと顔を見合わして、ため息をつきました。
おばあさんは、自分の知らない間に、そんな事があったとは少しも知らないものですから、泥棒が帰った後でも、「折角教わったお経だ。よく覚え込むまで、何度もやっておこう」と、独言を云いながら「香炉や、花立や、花立や、香炉や…」
と、また、初めからさらい出しました。
が、今度はもう鼠も泥棒も出て来ませんでした。

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