NAGOYA Voicy Novels Cabinet

水筒から元カレ

テレビ塔を見上げる

 水筒から元カレが出てきた。
 本当のことだけど、信じられない。
 ついさっき、部屋の大掃除を始めたら、クローゼットの奥からなぜか水筒が出てきて、これって新品かな?と思って蓋を開けた。そうしたら、なんと、モクモクモクって物凄い煙が出てきた。
「え、まさか!」
 慌てて鏡を見る。
 よかった、変わってない。浦島太郎みたいに急に歳を取ったらどうしようかと思った。ホッとしたのもつかの間、元カレがいた、というわけ。
「も、もしかして、水筒から出てきた?」
「あったりー。煙が出てきて火事だと思わない、サナのそういうとこ好き」
 元カレは言う。
「ちょっと待ってよ。ソウタって魔法使いだったの?」
「はっずれー。俺は心残り」
「ココロノコリ?」
「そう。俺、この水筒に関係することで心残りがあるらしいんだよね。まあ、言い換えると生霊ってやつかな」
 ソウタの生霊は笑った。……笑い事じゃないんですけど。
「心残りって何よ?」
 ソウタとはもう五年も前に喧嘩別れした。理由なんてとっくに忘れてしまったほど、些細なことだ。
「それが分かればさ、俺は消えてなくなる設定なんだよね」
「そう。私忙しいから早く家に帰って」
 私は掃除の続きを始める。明日、憧れの会社の先輩草壁さんがこの部屋に来るんだ。きれいにしなくっちゃ。
「いや、俺、水筒がないと帰れないし」
「じゃあ、水筒を自分で持って帰ればいいでしょ」
「だめ。俺、生霊だからモノが持てないし触れない」
 ソウタの生霊が水筒に手を伸ばす。水筒に吸い込まれるように手が見えなくなった。
「な?」
 ソウタの生霊が言った。私はため息をついた。
「分かった。ソウタの家まで届けてあげる」
 私は水筒をバッグに入れた。

 私の家からソウタの家までは歩いて二十分。途中、テレビ塔がある。ソウタとは一度だけ一緒に行った。ソウタも私も展望の景色にテンションが上がって、「恋人の聖地」と書かれた金色のプレートの前で記念撮影をした。
 あれ、楽しかったな。私達、すごく気が合ったのに何で喧嘩別れなんてしちゃったんだろう。
 テレビ塔が近づいてきたら胸がキュンッと苦しくなった。
「ねえ、展望台に寄ってかない?」
 私は言っていた。
「あー、いいけど」
 ソウタの生霊はどうでもよさそうだ。
 なんだ、覚えてないんだ。ちょっとがっかり。
 エレベーターに乗ってスカイバルコニーへ。
 ああ、この変わらない名古屋が見渡せるのがいいんだよね。
 そう思ってふり返ったら、いない。
 アイツ、どこ行ったんだろう?
 展望台をグルッと回って探す。
 あ、いたいた。「恋人の聖地」のプレートの前でキョロキョロしてる。
「こっち、こっち。……あれ、ちょっと老けた?」
 さっきより大人っぽく見える。
「サナ。覚えててくれたんだ」
 私はギュッと抱きしめられた。周りの人たちにチラッと見られる。
「やだ、何、恥ずかしい」
……あれ?
「生霊はモノが触れないんじゃないの? 人は大丈夫ってこと?」
 私が言うと、
「生霊って何? サナ、何言ってるの?」
心配そうに言った。
「もしかして、本物? 本物のソウタなの?」
「当たり前だろ。五年前の約束覚えててくれてありがとう。俺達やり直そう。俺にはサナしかいない」
 恥ずかしげもなくソウタが言った。
 本物のソウタだ。
 だから、五年分大人になってたんだ。約束って……、あっ、「五年後、別れててもここで会おう」って言った、あれか。
 私はバッグから水筒を取り出した。
「それ、付き合ってた時俺が買った水筒だ。これに紅茶を入れて出かけるか、コーヒーを入れて出かけるかでもめて別れたんだよな、俺達」
 ソウタが言った。
 五年前の私達ってバカみたいだ。明日の草壁先輩との約束、キャンセルしなくっちゃ。
 私は水筒の蓋を開ける。煙も生霊も出て来なかった。
「カラなの? 下のカフェに行こうか?」
 ソウタが手を差し伸べる。私はその手をギュッと握った。今度は絶対離さないように。

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