NAGOYA Voicy Novels Cabinet

望外の喜び

ジャズコンサート

 「なんだこいつは。信じられない。」私は心の中で毒づいた。今日はボーイフレンドの達朗と大須の商店街で食べ歩きデートをする予定だった。
 それが待ち合わせの場所に来るなり、
「俺、今日、最高に二日酔い。超気持ち悪い。取引先との接待で頑張りすぎちゃって、何にも食べられない。」と言う。
私とのデートを何だと思っているのだ。いくら付き合いが長いとはいえ軽く見られたものだ。大須には、揚げたおまんじゅうとかしぼりたての生ジュースとか食べ歩きには格好の店がたくさんあるので、実はとても楽しみにしていたのだ。
「俺は何も食べられないけど、気にしないで。里奈ちゃんは好きなものを好きなだけ食べていいよ。」そう口では言ってはいるものの、全く気乗りしていないのは明らかで、むしろ、こんなに体調が悪いのに約束どおり来たことをほめてくれと言いたげな不遜なオーラが漂っている。
 だいたい食べ歩きが楽しいのは、一緒に食べておいしい瞬間を共有できるからこそ楽しいのであって、食欲のない相方に見つめられながら一人で食べても全く楽しくない。
とりあえず、達朗の二日酔いに回復の兆しがあるのかを見定めるべきだと思った私は、ひとまず喫茶店に入ろうと提案した。そこでちょっと様子を見て、それからのことは考えれば良い。
そう思って、二人でふらふら歩き始めたところで、突然、私たちより少しお姉さんな感じの女性が近寄ってきた。そして、私たちはチラシを渡された。
 「今日、演芸場でジャズのコンサートがあります。いかがですか。」
 「演芸場って、、、」落語や漫才をやるところではないか。怪訝に思った私は言葉に詰まった。
 「すぐそこです。その角を曲がったらわかります。」場所を聞かれたと思ったのか、間髪を入れずに答えが返ってきた。
 「まもなく入場開始です。楽しいですよ。演芸場でジャズ。絶対に絶対にお勧めです。」とお姉さんは断言して、別の人に声をかけるため去っていった。
 とりあえず喫茶店で時間をつぶすくらいなら、ジャズを聴くのも悪くない。喫茶店にいても、いつのまにか二人とも別々にスマホをさわっているだけだ。それなら二人で同じ空間で同じ音楽を共有する方が絶対楽しい。二人ともジャズに詳しい訳ではないけれど、演芸場で行われるというところにも何となく惹かれる。演芸場と言えばお笑いの殿堂だ。演芸場で行われるコンサートなら、やっぱりおもしろいに違いないと勝手に想像してしまう。ミュージシャンは着物を着て演奏するのだろうか。楽器の演奏の合間にお皿を回したりするのだろうか。妄想はどんどん膨らんでいく。
 「行ってみようか、このコンサート。」私から誘ってみた。
 「いいよ。俺、その間に二日酔いから立ち直るし。」すんなり決まった。
 チケットを買って演芸場に入った。格子の天井と壁にたくさんの提灯が並ぶ様子はまさに和風空間だ。緞帳が開いた。正面には「千客萬来」と大きな文字で書いた額がある。
 演奏が始まった。純然たるジャズだった。ビッグバンドのジャズだった。着物を着て演奏するとかお皿を回すとかいう妄想は一瞬のうちにかき消され、心地よいスイングのリズムとテンションの効いたハーモニーに引き込まれた。演芸場という和風空間にジャズという西洋音楽が妙にマッチしていた。ジャズも源をたどれば庶民の音楽なので、演芸場とは相性が合うのかもしれない。全く想定していなかった展開だけど、すごく得した気分。望外の喜びとはこういうことを言うのだろうか。達朗の二日酔いに感謝したいくらいだ。
酔い覚ましのひとときにするつもりだった達朗も足でリズムを刻んで楽しそうに聴いている。一緒に楽しい瞬間を共有すると喜びは倍増する。コンサートが終わったら、食べ歩きも楽しめそうだ。

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