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守山城炎上始末

夏の草むら

 松川の渡し近くまで来たところで馬を下り、手綱を近くの木に括り付けた。庄内川のほとりだというのに風もない。日差しは強く、蝉の鳴き声が、絶え間なく響き続けている。石に腰掛け、笠を取り、竹筒の水を飲み干した。
 年の頃は十五、六。武士には珍しく、色は白く、鼻筋が通り、誰もが認める美少年である。
 楽しそうな声が聞こえるので上流の方を見やった。漁師たちが川魚を捕っているようだ。
 汗を拭い、水面を見つめる。小袖から巾着を取り出し、金子の重みを確認する。少年は博打にのめり込んでいた。傳役はうるさくいうが、兄もやりたい放題だったではないか。それに比べれば身を忍んで行う遊びぐらいは大目に見て欲しい。わざわざ目を盗んで遠くまできているし、負けるわけにはいかない。川の水で顔を洗い、勇んで馬に乗り込んだ。
 馬を進めると、先ほどの漁師たちがこちらに向かって歩いているのに気づいた。大漁だったのか笑みがこぼれている。武士らしき男もいた。
 距離が縮まると、その武士がいきり立って「馬を下りよ!」と叫んだ。漁師風情が何を言うか。我を誰と心得る。少年は無視し、すれ違おうとした。すると武士が鞘に手をかけるではないか。構わぬ。鞭をうち、駆けた。漁師たちが怒号をあげ、追いかけてくる。さらに鞭うとうとしたとき、背中に雷を受けたような痛みが走った。弓か。馬の首にしがみつこうとするが全く力が入らない。馬から転げ落ちる。
 少年の名は織田秀孝。信長の末弟である。

 清洲城にて信長が一報を耳にしたとき、最初にわき上がった感情は悲しみではなく怒りであった。討ったのは叔父の守山城主であるという。「敵を討つ!」怒号を発するやいなや、着の身着のまま馬一騎で駆けた。側の者共は、勇み狂う信長を諫めることもできず後を追うしかなかった。このころの信長は政務に興味を持たない若造に過ぎない。しかし、朝夕欠かさず馬の調練ばかり行っていた甲斐もあり、城内の誰よりも馬の扱いに長けていた。
 弓矢に勝るほどの速さで街道を駆ける。三里ほど進んだ矢田川のほとりで、前方に黒煙が立ち上っているのが見えた。敵の居城である守山城の方向である。馬を止め「何事か!」と叫ぶが誰も応えない。振り向くと誰もいないではないか。あまりの速さに誰も追いつけなかったようだ。馬を下りるや巨木を蹴り、拳をぶつける。
 そこへ前方から伝令がやってきた。片膝をつき、事の次第を報告する。城主が家臣と共に川漁を獲った帰り、馬に乗った少年が下馬をせずに通り過ぎたので、家臣が無礼討ちにしたのだそうだ。相手が信長の弟であることを知った城主は城に戻らず逃走し、行方が分からないという。
 怒りが収まらぬ信長は、ようやく追いついてきた側の者たちを怒鳴り上げた。誰も顔を上げず視線を合わせない。
「あの煙は何じゃ」信長は前方を指さした。先ほどより量が増え、幾筋も立ち上っている。
「信勝様です」目を伏したまま伝令は答えた。
 それ以上の説明は必要なかった。長兄の信長は織田家を継いでいたが、人望のある次兄の織田信勝に有力家臣がつくなど、その権力基盤は弱かった。その信勝が、共通の敵の居城を焼き払ったのである。
 信長は言葉にならぬ叫びを吐き出した。本来なら褒め称えるべきであるが、その器量はない。弟の敵を討つのは、長兄である信長であるべきなのだ。しかし、現実には戦の準備すらできておらず、敵の城はすでに焼き払われている。内外に信勝ここに在りと示されてしまった。今更深入りすることもできまい。
「我らの弟ともあろうものが」声に涙が混じっていた。「共を召しつれず馬一騎で駈けまわるとは……」刀を抜く。「あきれた所業。たとえ生きていたとしても、この手で成敗してくれる!」空を斬る。
 振り下ろした刀は微動だにしなかった。全身から蒸気が沸き立ち、顎から汗がしたたり落ちた。あるいは涙なのかも知れない。日差しは強く、風もない。蝉の鳴き声が絶え間なく響き続けている。
 天文二十四年、夏の出来事であった。信長が信勝を誅殺するのは、これから数年後のことである。

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