中日の抑え投手が最後を締めて、試合は22時過ぎにやっと終わった。ソフトバンク打線は九回も簡単に引き下がってくれず、私が勝利を確信して帰り支度を始められたのは、ゲーム終了より少し前、左打者の強いゴロを二塁手が勇敢に体で止め(硬球が胸にめり込む音は三塁席までも聞こえてきそうだった)アウトにした時だった。
当時の私は名古屋から離れた町に住んでいてヒーローインタビューを後目に帰りの電車に乗った。その中で一時間程揺られ、球場で飲んだ2杯目のビールの酔いが抜けると、フラッシュバックしてきた試合中の一場面を巡る疑問が頭の中を回り始めた。
あれは何だったのだろう?
松坂が先発したその金曜の夜の試合はいつもより高いA席で観戦した。ナゴヤドームに着いてすぐにビールを買った。私はふだん土曜日か日曜日のデイゲームしか観ないし、試合の序盤からアルコールを飲むことだってまずないが、その日は仕事終わりで疲れていた。
試合は全体の印象としては大味ではないのだが鈍かった。お目当ての松坂は初回に先制点を許したのちも、かわす投球で相手の打ち気をそらして毎回のピンチをしのいでいた。つまりボール球を多投する分だけ四球が多くなるから小気味よい試合運びではなかった。調子がそれほどでない技巧派が投げるときにはありがちな展開である。疲労と飲んでしまった酒のせいもあったが、私にはずっとドームの密閉空間にどんよりした空気が居座っているように感じられた。私がそうしてほぼ漫然と観戦しつつ久しぶりにちらとスコアボードを見た時、回はいつのまにか5回表まで進んでいた。この回の前までに味方打線が奮起し逆転していたので、このイニングを投げ切れば松坂は勝ち投手の権利を得られる。その回も1アウトをとってから相手に出塁を許したものの、1塁上にそのランナーを置いたところで、次の打者にはうまく変化球でタイミングを外しひっかけさせた。ゴロがショート真正面に飛んで
ダブルプレーだ、チェンジだ。
と場内の全員が確信した瞬間、それを遊撃手がトンネルして私の一杯目の酔いはそこで完全に飛んでしまった。
だからここから5回の表が終了するまでは記憶が鮮明になるのだけれど、遊撃手が失策のショックをあらわにしてマウンドへ歩み寄ろうとするのを、松坂は
「いいよ、いいよ、オレ抑えるから」
とでもいうように淡々とした表情とジェスチャーとで制してから、その後も満塁の場面を招きつつ、苦心して2アウトまでこぎつけた。しかし残酷な満塁の現実をなおも引きずったままでバッターボックスに強打者の柳田を迎えた。
松坂のこの日一番長い間合いとボールを散らしてくる駆け引きに相手も応じてお互い粘りあう勝負が3ボール2ストライクのフルカウントとなったとき私は思った。
まず直球は全盛期の球威がないから、もうストライクゾーンへは投げられないし、生命線のスライダーを低めに投げても腕が長くてバットコントロールの良い柳田のアッパースイング軌道には恰好の餌食になる。万事休した。
絵に描いたような絶体絶命の場面は、その数秒後に松坂が真ん中へ放ったストレートを柳田がフルスイングの空振りで三振して結末した。私といえばこの日一番のどよめきの中で声を失っていた。そうしてすこし呆けてから、その所在のつかない動揺を抑えるために2杯目のビールを買ったのだ。球場のスピードガンは130キロ台後半を示していた。
帰宅後にTVのスポーツニュースをハシゴしてあの数秒間の映像を何度も見た。肉眼でど真ん中に見えた直球には打者の内側に食い込んでゆく回転がかけられており、高さも柳田のいちばん得意なポイントからボール1つか2つ分だけ上にずらす、絶妙のコントロールがなされていた。それは無根拠で向こう見ずな蛮勇でない、プロ投手の心技体に裏付けられた勇気が生んだすばらしい投球だった。
そしてそれは私がなぜ動揺したのかにも明確な答えをくれた。つまるところ私は、困難に全力で立ち向かう勇気に感動する心が、まだ自分の中にも残り火のように灯され続けていたことを知って、激しく心を揺さぶられたのだ。