NAGOYA Voicy Novels Cabinet

マザーズ テイスト

 古本屋で買った少し年季の入った料理本に一枚の写真がはさまれていた。今ではなかなかお目にかかれないセピア色の情景。昭和30年代頃の端午の節句の記念写真だろうか。兄妹らしき二人が正座をして写っている。その表情を見て失礼ながら、思わず苦笑いをしてしまった。
 幼少の頃、厳格な父の影響で写真を撮るときには兄と一緒によく気をつけの姿勢をさせられた。今みたいにピースやVサインはおろか自然に笑うこともなかなかできず、いつも緊張した面持ちで写真に納まっていた。そのせいか昔の写真にはあまり笑顔の写真がない。
 しばし、タイムスリップを楽しませてもらった後、はたしてこの写真をどうしたものかと悩んだ。古本に栞がはさまれていたままになっていることは珍しくないが写真の保管状態からしても栞代わりにしていたとは考えづらい。
 持ち主は何かあるごとにこの本を開き、写真を手にとって見ていたと考える方が落ち着く。やはりこれはある意味落としものであり、持ち主の手元に無事返されるのが理想的だろう。ただ、なぜ想い出の一枚が料理本にはさまれていたのかは疑問が残った。   
 翌日、古本屋に足を運ぶと店主が一人の客を相手に接客しているところだった。少し困惑の表情を浮かべているようにも見えたので出直そうかと思ったが、こちらの気配に気付いた店主がちょっと、ちょっと、奥さんと歩み寄ってきた。同時に振り向いた客は初老の女性だった。
 
 夫が本物のおふくろの味を食べたいと言い出したのは昨夜のことだった。何でも居酒屋で食べた肉じゃがの味がひどく不味く、突然昔よく食べた肉じゃがの味を思い出したらしい。とはいえ、ネットですぐに検索できるものや料理本の類は簡単に作れるレシピが主流で、手間隙をかけてじっくり味を出すような肉じゃがの作り方を教えてくれる本はなかなか見当たらない。そこで町はずれの老舗の古本屋を覘いたのは数週間前のことだった。

 写真を差し出すと老婦は懐かしそうな表情を浮かべた。それをじっと見つめる目も心なしか潤んでいるようだった。写真の人物は家庭の事情で生き別れた息子と親戚の子らしい。今は古本屋近くのアパートで夫と二人暮らしで、たまたまテレビの料理番組でおふくろの味を紹介していたとき料理本のことが思い出され、その写真のことが甦ったのだという。しかし、気付いたときにはすでに遅く、押入れの整理をしていたご主人が古本屋へ持っていった後だった。店主に事情を説明すると、最近ある女性がその本を購入していったことが分かった。それから老婦は料理本の購入者が写真を届けてくれないかという淡い希望を抱いて足繁く古本屋に通っていたらしい。
「あれから毎日顔を出しましたよ。でも、よかった。あなたのような心優しい方で」
「いえ、そんな。たまたま主人から料理をリクエストされていて」
「あら、どんなお料理?」
「肉じゃがなんです。それも本物のおふくろの味で」
「それはそれは大変なプレッシャーですね」
 何度も勧められたお礼を丁重にお断りすると、代わりにと肉じゃがの作り方のコツを何点か教えてくれた。最後に老婦を見送ろうとしたときずっと胸に引っかかっていたことを思い出した。なぜ写真をあの本にはさんでいたのだろう。
 老婦は写真をしまいこんだバッグを軽く手のひらで押さえ、少し答えに迷ってからにっこりと微笑んだ。
「息子も大好きだったんですよ、肉じゃが」
 
 その晩は臨時講師のおかげもあり本物のおふくろの味を作ることができた。夫は目をつぶりながら、今その味を吟味している。
「いいねえ、これ。美味しいよ。味がしっかりしみ込んでて」 
「そう、良かったあ」
「でも、こんな味、料理本読んだからって出せるもんじゃないよ」
「でしょ、すごいでしょ。実はねある人から教わったの」 
「ある人って」
「本物のおふくろさん」
 自分のリクエストにあんな出来事があったことなど知る由もない夫を横目に、あの写真はもしかしたら偶然の落としものではなかったのかもしれないとほくそ笑んだ。

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