NAGOYA Voicy Novels Cabinet

緩やかな気付き

モーニングセット

仕事の日ならともかく、今年に入ってからと言うもの休みの日でも朝6時には目が覚める。

記憶が確かなら、去年までは平気で昼過ぎまで寝ていたし、二度寝三度寝は当たり前。そろそろ起きるかと思った時にはすでに夕方を回っているなんて事もしょっちゅう。
相変わらずダメ人間っぷりを発揮しているなぁと自分に呆れながら、特に省みる事もなくしがない一日を過ごしていたのだか、近頃では二度寝する事すら無くなった。
おお、これが歳をとると言うやつか!と、あらゆる諸先輩方から聞いていた、『朝早く目覚めてしまう伝説』が頭をよぎる。30代後半の壁。

こんなに急に訪れるものなの?ちょっと一言あってもいいんじゃない?なんならまだ来るの早くない?

果たして本当に歳をとった事が理由なのか根拠はよくわからないが、早く起きてしまうものは仕方がない。
そんな日が続く中、なんとなく思い立ち近所の喫茶店へ出かけて見る事にした。身支度もまあまあで、着の身着のままの姿で家を出る。近所だから別に頭がボサボサであろうがTシャツの襟がヨレていようが問題ないのだ。

思い返せば子供の頃、休みの日にはよく両親と朝の喫茶店へ行っていた。
モーニングセット。コーヒーとトーストと茹で卵。それを食べるためだけにわざわざ早起きをして行く両親がよくわからなかった。
それに付き合わされて、眠い目を擦りながらクリームソーダをズルズルとすする。
そう言えばその時の両親の頭もボサボサだったなぁ。

「いらっしゃいませー、何名様ですか?」
店員さんの、元気とも言えない気怠い声とともに広がる重厚なほろ苦い香り。
子供の頃、この扉を開けた瞬間がまるで別世界に見えた。足を踏み入れるのにはちょっと勇気がいる、ダンディーな空間。自分の緊張を他所目に、手慣れた様子で席へと吸い込まれて行く両親に、ちょっとでも離れると取り残されてしまうのでは無いかと慌てて引っ付いていたのを思い出す。

「いらっしゃいませー、何名様ですか?」
店員さんの気怠い声は、時代を問わないのかと思うくらい安定している。この気怠さにはいつもホッとさせられるのだ。なにか不思議な、肩の力を抜けさせてくれる優しい力がある。もしかしたら自分の両親もこの声に救われていたのかもしれない。

まだ客もまばらな喫茶店で、目覚めのコーヒーをゆっくり飲みながら、いつか読もうと買っておいた経済の本を読む。
コーヒーの心地よい酸味混じりの香りを嗅ぎながら、決して静かでは無い、少しガヤガヤした店内でフムフムと知識や発見を蓄えて行く。

うん。なかなか悪く無いではないか。今まで無駄にしていた時間をこんな有効に使えるなんて。

なんて贅沢な時間。

ただ早起きをしただけなのに、まるで新境地へと踏み出した感じ。なんて晴れやか。なんて清々しいのだ。
泥のように惰眠を貪っていた過去の自分よさらば。
早起きは三文の徳とはこの事だな、と実感。
穏やかな空気と開放感に身を委ね、静かなひと時を味わう。心がスッと浄化されて行く様だ。
その時、何となく両親の気持ちがわかる様な気がした。
特に会話をする訳でもなく、ひたすら新聞や週刊誌を読みながらコーヒーをチビチビすする両親。一体何が楽しくてこんな所に来ているんだろう、と疑問しか無かった。
でもここには言葉や理屈では無い、特別な“何か”が流れているのだ。なるほど。自我が芽生えると恋をするむず痒さを覚え、ハタチになれば仲間とお酒を酌み交わす熱い情熱を覚えるのと同じで、歳を重ねるごとに、目に見えない“何か”を覚えて行くのだ。

歳をとるのも悪くない。

そんな気持ちに浸りながら、そのまま意気揚々と1日を過ごすつもりでいた。がしかし、いつもならようやくエンジンが掛かる夕方過ぎあたりから急激に眠くなる。

そりゃそうだ。だって早起きしたんだもの。

早起きするようになれば早寝するようにもなる。これが自然の摂理と言うものだ。もしかして歳を重ねると意図せずとも健康的な暮らしをする様に体ができているのか?

そうだとしたのなら、やはり歳をとるのも悪くない。

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