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桜との距離感

桜の木

 小学校からの帰り道、春の訪れを感じさせる風がサッと吹いて、桜の花びらが数枚足元に舞い落ちると、私はランドセルを背負っているのも忘れるほど、一生懸命走って自宅に戻り、キッチンでホットケーキなどを焼いている母にまとわりついたものでした。桜のつぼみのほころび加減や早咲きの桜の木について、息をはずませながら、逐一報告するために。

 その頃、私は京都のはずれに住んでいました。両親が、毎年天王山の麓にある山崎で、祖父母や叔父夫妻、従姉弟達を呼び寄せてのお花見会を催すので、学校の登下校で目にする道々の桜の様子を話し、一日でも早くお花見会が行われるのを心待ちにしていたのです。
 ただし、私は本番のお花見会で、満開の見頃の桜たちには、目もくれませんでした。弟や従姉弟達と缶けりや鬼ごっこ、ケンケンパなどで走り回り、疲れたら、味のしっかりとしみこんだ卵焼き、大ぶりの唐揚げ、鮭のおにぎり、みたらしだんごや桜餅をぱくついては休憩する、といった有様。山崎の桜の見事さは、いつも記念写真の中で確認していただけです。

 女子の中高一貫校に通っていた時の私は、セーラー服の襟からのぞくリボンをはためかしながら、学校帰りに親友のエミちゃんと道明寺を食べるのが春の定番となっていました。哲学の道沿いに咲く、白っぽくて薄いピンクのオオシマザクラの花が放つ、甘い匂いに酔いしれながら、私達は部活でのつらい球拾いのこと、苦手な英語のレポートのこと、憧れの若い男性物理教師の服装や髪型のことなど、道明寺一つでは、到底おさまりきれないほどのお喋りの花を毎回咲かせていました。大学の進路先について、泣きながらエミちゃんが東京、私が大阪と打ち明けあったのも、確か一本の大きなオオシマザクラの木の下でした。

 夜桜を観賞するために、例えば、大阪の造幣局の通り抜けなどに足を運んでいたのは、大学生や会社員時代。テニスサークルの仲間や会社の同期達、または合コンメンバー……で、毎年連れ立つ面々は変わるけれども、若い男女が集まって心静かに美しい花を愛でるといった風情になるはずもなく、普段とは違った飲み会を演出するための背景としてとらえていた程度で、通いつめていた割には、桜に対する格別な印象は残っていません。覚えていることは、人の波だったり、当時密かに思いを寄せていた先輩のピシッと決まったスーツ姿だったり、その隣ではにかみながらも微笑む後輩だったり。当時の私にとっては、桜を見に行くことよりも、誰と一緒に見にいくのか、の方が重大で、そのことに神経を使っていたような気がします。

 そして、現在。名古屋から新幹線で関西に帰省する度に訪れる古都、京都。
 私の傍らで、夫があでやかな桜の老木をカメラに収めていたり、遠くで息子がおみくじを引いている姿を目の端で追いながらも、私の心は、圧倒的な存在感で立ちはだかる桜の木々の前から動くことができず、ただただ佇んでしまうことがしばしばあります。桜の華やかさ、ほのかな香り、そして、遠からず風雨に打たれて散りひしがれてしまう物哀しさまでもが併せて、ひりひりと私の胸に迫ってくるのです。
 桜とこのような向き合い方をするようになったのは、40歳を過ぎたあたりから。それは、私自身が自分の人生や生き方について、真摯に考え始めた時期とピタリと重なります。

 来年、再来年と、はたしてどのような桜に出逢えるのだろうか、ドキドキする半面怖い気持ちも抱きながら、私は京都を訪れることになるでしょう。
 いつか、一人で桜と対峙することになったとしても、ひるむことなく、その気高さを心から楽しめることができたら……、そんなことを思いながら、私は夫と息子の元にゆっくりと足を進めて行きました。

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