NAGOYA Voicy Novels Cabinet

大須おさんぽ道

大須のアーケード

地下鉄栄駅のホームに降りたとき、スマホが震えた。シンゴからだ。端に寄り、着信ボタンを押す。
「急に彼女とデートに行くことになってさ。今日の予定はナシってことで」
 どういうことかと問いかけたが、通信状況が悪いのか要領を得ない。そうこうしているうちに通話が切れてしまった。
 僕は地上に上がった。電話をかけてみるが繋がらない。
 まーあかん。予定が変わるのは仕方ないにしても、もっと早く伝えるとか、こっちの都合を聞くとかいろいろあるだろう。人の迷惑を考えろ。こっちは時間通りに行動しているというのに。
 シンゴは会社の同期だ。新卒入社以来だから五年の付き合いになる。今日も、呉服町通りにある人気ラーメン店に行く予定だった。仕方ないから一人で行こうとしたけれど、店の名前を聞いてなかったことを思い出す。
 ため息を一つ。
 心を鎮めるのには歩きまわるのが良い。子供の頃からそうだ。おもちゃを買ってもらえなくて、グズるのを抑えるためにおさんぽしていたら、迷子扱いされた。何回もあった。
 歩いて帰ろう。久屋大通公園を南にむかう。木々や庭園の緑は心地良いのに、それを取り囲むビル群が空を狭くしている。その空にも、薄黒い雲が低く立ちこめている。
 そもそも、だ。彼女って何だよ。全然話を聞いてないぞ。ランの館が見えてきた。花や木を愛でる気分にならない。僕は振られた話も正直に話したというのに。謎解きのお店が見えてきた。男ひとりで入るものでもないだろう。
 強い雨が落ちてきた。今日は散々だ。半走りになり「大須新天地通」と書かれたアーケードに入った。体についた雨を拭く。このまま上前津まで歩いて地下鉄で帰ろう。
 近くの店から唐揚げの匂いがした。お腹が空いていることに気づく。疲れているし脂っこいものは遠慮しようかと思い、向かいの店で「アイス焼きりんごクレープ」を買った。それにしても大須のアーケードは人が多い。持ちながら歩くと危ない。どこか座れるところはないかと歩みを進める。
 万松寺を通り過ぎると招き猫の像が見えてきた。周りには神社の鳥居を模した柱が立っている。大道芸をやっているようで人だかりができている。立ち止まり、クレープを食べながら遠巻きに眺めた。一見すると外回りの営業マンのような格好の芸人さんが「ああん、落としちゃう」とオネエ言葉を放ちながらボールジャグリングをしていた。何個持っているのか分からないが、最前列の子供たちが歓声を上げているからたくさんなのだろう。
 クレープを食べ終わり、立ち去ろうとしたとき芸人さんと目が合った。
「あーらお兄さん、手伝ってくれるのぉ」
 戸惑ったが、拍手に促され仕方なく前に出た。
「緊張しなくて良いのよぉ。じゃあ、いい? アタシが一輪車に乗ったら、このトーチを渡してね」
 トーチを手渡された。何だそれだけか。頷くと「忘れてたわぁ」と言いつつ、満面の笑みでトーチに火を付けた。熱で思わず顔をそらす。
 芸人さんは背の高い一輪車に乗った。僕は二本のトーチを手渡しした。最後の一本を投げて欲しいという。仰々しいファンファーレが流れた。慎重にイメージし、覚悟を決めて投げ渡す。芸人さんは一瞬だけ真顔になった。「きゃああ」と悲鳴を上げつつもしっかりと受け取り、ジャグリングを始めた。観客が歓声を上げ、そして拍手が続いた。誰もが、驚き、笑い、そして楽しんでいた。僕の口元も少し緩んだ。
 大道芸が終わり、シンゴからメールがあったことに気づいた。かわいらしいキャラクターが土下座をしているスタンプだった。文章はなかった。
 ふと、思い出す。迷子になったとき、見知らぬ人に「どうしたの?」と話しかけられたとき、安心した気持ちになったことを。自分の居場所を確認したというか、ひとりじゃないんだなと感じたことを。
 ひとしきり考えた後、「まあ、楽しんでこいや」と返信した。
 アーケードの切れ目から空を見上げると、すでに雨は止んでいた。日も差しこんでいる。さてと、これからどうしようか。古着屋さんでも覗いてから帰ろうか。
 前を見る。歩き始める。

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