NAGOYA Voicy Novels Cabinet

スマートフォンの視点から

スマートフォン

 百メートル道路の意味がよくわかっていない様子で君は頷いた。
 味噌煮込みうどん、レゴランド、東山動物園。静岡県東部で生まれ育ったのなら、名古屋市の知識なんてそんなものだろう。ましてや百メートル道路の説明なんて名古屋の人でも急に聞かれたらうまく説明できないかも知れない。

 久屋大通周辺の公園を挟んだ、南北に延びる道路。東西におよそ百メートルあることから通称百メートル道路と呼ばれる。戦災復興計画で設けられた。ついでに言うと日本で百メートル道路と呼ばれる道路は全国で名古屋市に二本、広島市に一本しかないらしい。細かいことをつけ加えると百メートル幅員のある道路は数ヵ所あるそうだが、戦災復興のプロジェクトではなかったり、形態が違うためにそう呼ばれていない。
 そこまでネットの情報を得ると、君は「そっか……」と頷いてスマホの画面を消したんだ。

 そう言えば、と今朝起き抜けに君は突然思い立ったらしい。夏頃に久屋大通公園に新しいお店が増えたと聞いたから、散歩でもしながら様子を見てみようと。
 長め丈のトレーナーにスキニージーンズ、薄手のコートをさっと羽織る。どれも身体に馴染んでいる。小さなショルダーバッグに財布とハンカチだけ入れ、スマホ片手にぶらり歩く初冬の土曜日の午前。東山線に乗るのは意外と久しぶり。地下鉄栄駅の改札を出て地下街を通り、リニューアルオープンしたばかりのセントラルパークの途中で地上に出る。少しばかり冷えた風で覚醒したのか、そこで誰かが言っていた百メートル道路のことを急に思い出して君は調べていたわけだけれど、ついさっきまで調べていた百メートル道路よりすでに新しいお店の方が気になって仕方がない様子で、歩きながらお店の中を覗きこんだり新しくなったテレビ塔を見上げたり一人で忙しい。
 見上げたテレビ塔の奥は適度に青空で、ちょうど雲に飛行機が入っていく瞬間を見た。

 こじつけかも知れないけれど、君が飛行機であの白い雲が名古屋だ。進路の先に名古屋があって、そのもやもやの中を状況を受け入れて馴染んで進んでいく。

 名古屋で過ごす何度目かの冬が始まろうとしている。だいぶ、この土地のことを知ってきたし馴染んできたと思われる君が遠目からおしゃれなカフェを覗きこむその歩道に、セダン型の車が乗り入れ、車道さながらの走行でクラクションを鳴らしながら追いかけて来る。
 百メートル道路の弊害か。
 運転席の「おじさん」に睨まれ慌てて歩道の隅に寄り、数十メートルほど向こうにある駐車場に車が入っていく様子を見ながら君は徐々にむっとした顔に変わっていった。

 マスクで隠された君の口元が少し動いた。たぶん君は「危ないな」とか、そんな感じのことを言っているんじゃないかって。今の体になってからでも、かれこれ二年と一カ月、ずっと傍にいるからなんとなくわかる。

 そしてイライラするときは、どんなに暑い日でも今日みたいにうっすら冷え込んだ日でも、君は温かい料理を食べて落ち着くことにしている。
 その証拠に「味噌煮込みうどん」の文字がスマホの検索画面に打ち込まれている。
 いくつか候補を挙げる。

 候補に並んだお店のうちの一つ。看板を確認して君は一人お店ののれんをくぐる。
 感染症対策のアクリルパーテーションに味噌一滴ついていないことに少し感動しながら、注文した味噌煮込みうどんを待つ。そのときの君の右手の親指は「クラクションを鳴らすおじさんの心理」と動いていたが、君を満足させられるような回答が見つからないうちに注文したうどんが目の前に置かれた。

 その味噌煮込みうどん。
 海老天一匹ぽつり。裏返した蓋に置いてきぼりにして、熱々のうどんを箸で持ち上げてふうふうと、そのまま土鍋から口へ運んでいるようだ。

 名古屋は味噌煮込みうどん、レゴランド、東山動物園、百メートル道路、だけじゃない。蓋に穴があいていない理由を検索してくれることを、湯気越しに待っている。

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