真夏日、晴天、スカイデッキにて、君へ
右も左もわからない空港を、買ってもらったばかりのスマホを片手に走る。財布にありったけのお小遣いを詰めてセーラー服のまま学校を飛び出した平日の昼間。そのままの恰好の自分がやけに目立っているような気がした。それでも私は足を止められない。悪くもない体調を悪いと言ってサボってまでここに来たのだ。罪悪感は無くはないけど、どうせこの後この足は使い物にならなくなるし、心が晴れやかであれ曇り模様であれ涙が止まらなくなるのは事実だ。だから嘘はついてない、なんて、無理矢理な理論を振りかざした。
そんなものを振りかざしてまで、私は今走っている。他でもない、君に会いに行くためだ。
乗り慣れないバスと電車へ飛び乗りなんとか中部国際空港に辿り着いた。広いんだろうなとは思っていたが、想像以上だ。そして何より人が多い。隅に寄って一度大きく息を吸った。喉の奥の薄い膜が少し擦り切れているかのような、痛みと呼ぶほどでもない走った時特有の違和感。じんわりと細い血管の隅々まで血液が流れているのがわかる。薄汚れた指定された白色のスニーカーに目を落とすとつう、と汗が首を流れた。それをセーラー服の襟で拭う。見つけられないんじゃないかって不安も一緒に。
『笑ってお別れしたかったので、先生には黙っててもらいました。』
そんな一文から始まった手紙を担任の先生がおもむろに読みだした。教室の真ん中、珍しく人が座っていない席に自然とみんなの目が集まる。席替えの時に「この席先生とむちゃくちゃ目ぇ合う~!」と困っている声音とは裏腹に笑顔だった君の姿だけが今ここにない。
『僕はこの中学校から転校することになりました。』
一言も喋っていないのにクラス全員がどよめいた。誰一人知らなかったのだ。毎日一緒に帰っていた仲良しの友達も君が好きだと言ったあの子も、塾でまだまだ先の進路を相談し合った私も。誰にも悟らせずに小学校に上がる前から一緒だった私たちを置いて、君は変わり映えしないこの町を出ていってしまった。
「今頃はきっと空港じゃないかなあ。寂しくなるけど、いつか会えた時のためにこれからも元気に生活していきましょうね。」
先生がそう話を締めくくってすぐ、私は隠し持ってきていたスマホでここから1番近い空港までの行き方を調べた。実際にいけるかどうかはわからない。本当にその空港かどうかもわからない。会えるかどうかなんて最早ギャンブルだ。それでも私はそこに向かわなければならなかった。憧れただけのこの町の向こう側へ君が行ってしまう前に一言言いたかった。
それだけを原動力に私は果てを感じさせないほど広い建物の中、行き交う大人たちを縫うように走る。せっかく効いている冷房に申し訳なくなるくらい汗が噴き出てきた。肺の中まで汗をかいているみたいに息苦しい。額に滲んだ汗を夏服の袖で拭う。逸る気持ちを抑えて深呼吸をし、また一歩踏み出した。弾かれたように揺れる前髪の下で私の目が捉えたのは青空だった。
人と人の間が私を誘導するかのように開けていて、その先で雲一つない青空を飛行機が丁度飛び立とうとしている。
初めて見た、離陸前の飛行機。今まで見たどんな乗り物よりも大きい。それなのに、この機体は空を飛ぶ。疲れた頭は思考を停止して、ただその青空に惹かれて外に出る扉に手をかけた。
ぶわ、と熱気が私を包む。夏の太陽は外にいることを咎めるみたいに私の肌を焼いた。数人の人たちがカメラを構えて飛行機を撮っている。でもこんな日に好き好んで外に出ようとする人は少ないらしく閑散としていた。
ふと顔を上げるとそのうちの一人が私を見ていた。
汗だくで、くしゃくしゃのセーラー服で、そんなみっともない姿の私に向き直った少年は紛れもなくあの町以外の世界を知らない私たちの同級生だった。
ああ、会えた。
片手を上げて、私は嗚咽混じりに笑った。
――みんなと違う道に行くのは今も怖いけど、私もいつか絶対町の向こうに行くよ。
ありがとうはいつかその先で伝えようと思った。寂しさも覚悟も、かき消した私たちの声も全部乗せて遠くへ飛行機が飛んで行く。