NAGOYA Voicy Novels Cabinet

穏やかな日々

ピアノのある部屋

 鶴舞公園から真っ直ぐにきた大池町にうちの病院はあった。
 時代は昭和初期。
 鉄筋コンクリート製のビルは当時は珍しく、とても目立っていたように思う。
 家族経営で総合病院を経営していた。

 その四階建ての屋上に、なんと動物園があった。
 動物園とは言っても、象やキリンがいるわけではなくて。
 ウサギや鶏などの小動物や鳥類が多かったのだが。
 小児科を併設していたため、患者さんが楽しめるようにとそれらを飼っていたのである。
 うちのミニチュア動物園は、直接動物たちと触れ合うことができるので、近所では結構人気だった。
 病院が嫌いな子どもたちも少しは喜んで来てくれたのではないだろうか。
 これはこれで、いい役割を果たしていたのかもしれない。

 ホンモノの動物園は、近くにあった。
 当時は鶴舞公園の端っこに、名古屋市の動物園があったからだ。
 そこにはちゃんと象もライオンもいた。
 いまでは考えられないが、こんな街なかに動物たちがいたのである。
 それは子ども心にわくわくするものだった。
 のちに東山のほうに移転していくまでは、私もよくその動物園を訪れたものだ。
 とはいえ、ふたつの動物園がほとんど目と鼻の先の距離にあったなんていまのひとたちが聞くと驚くに違いない。
 それくらい、名古屋はぎゅっと凝縮したまちだったと思う。

 大須のまちは今よりもずっと賑やかで、いわゆる商売のまち。
 観音さんの前には露天が立ち並び、いつも活気に溢れていた。
 多くの寺があって、静かな境内と沢山の店が共存する不思議な空間がいくつもあった。
 夜になると屋台から美味しそうな香りがして、つい寄りたい衝動に駆られる。
 だが、とうとうそれは出来ずじまいに終わった。
 学生時代はそののれんを潜ることに気後れし、大人になってからは忙しくてそれどころではなくなったからだ。
 できたばかりの旭丘高校を一期生で卒業後、大学で薬剤師を目指した。
 ところが卒業する年に戦争が終わり、跡継ぎだった兄が戦死。
 末っ子の私に託されて、急遽医者の免許が必要とされて再び大学に入り直した。毎日が目まぐるしく過ぎていった。

 本当はピアニストになりたかった。
 本気で目指していた時代もある。
 いろんな事情でそれは叶わなかったが、ピアノを弾くことが何より楽しかった。
 歌の指導をしていたご縁で、高校の2年後輩の妻と知り合った。
 彼女とはよく、歩いて観音さん通りの鰻屋に通った。
 好きな食べ物が似ているというのはいいことだ。
 それだけで、一緒にいるとほっとする。
 結婚後は、彼女の歌に合わせて伴奏する、それが毎日の日課になった。
 洒落たことは何もできないが、クリスマスの晩に、彼女が作ったケーキを前に「きよしこの夜」を弾いてやるくらいの心意気はあったつもりだ。

 開業していた医院を辞めて、世界中をまわる船舶の船医をしていた時代もある。
 重たいスーツケースひとつを抱えて、一度旅立つと半年から一年は帰れない。
 いまでも行きづらい国にもいくつか行った。
 燃料を補給するために停泊するあいだその国に入国できるから、面白いものをいくつも見た。楽しかった。
 それでも、どんなに珍しいものに出逢うことより、帰国して家族と一緒にいられる時間に勝る喜びはない。
 やはり、家族がいちばんである。
 やがて船を降りたときは、正直ほっとしたものだった。

 世界中を旅した私ではあるが、実は飛行機に乗ったことはない。
 あんなに重たいものが浮くなんて、いまでも信じられないのだ。
 勿論わかってはいる。
 しかし、今さら飛行機に乗ってみたいという興味はわかない。
 妻は何度か飛行機で海外に出かけていたが、付き合おうと思ったことはない。
 だからもう、私は飛行機を知らないで終わるのだろう。
 私と妻が見た外国の景色は、まったく違うものであるに違いない。

 一昨年は金婚式。
 子どもや孫たちと共にステーキで乾杯をした。
 この歳になっても肉や酒を美味しくいただけるのが有り難い。

 いまは街なかから少し離れた小高い住宅街に住んでいる。
 天気がいいと、名古屋駅のタワーまで見渡せる景色。
 この穏やかな日々が、愛しい。

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