NAGOYA Voicy Novels Cabinet

図書館のある公園の富士山

富士山の形の滑り台

 月曜日の昼下がり、東京の兄と一緒に住んでいる母のケータイから電話があった。
「いま名古屋に来とるでねぇ」
 急な連絡でビックリした。
「家まで来たけど無くなっとるでかんわ。何もかんもあらせん。駐車場になってまっとるでかんわ」
 私も結婚して家を出て、兄も東京に転勤してしまったので実家は売りに出していた。今は家も取り壊されて駐車場になっているのである。
「どうしてまた……。お兄さんは一緒じゃないの?」
「急に前の家が懐かしくなってまったでよー。お兄ちゃんは仕事に行っとるで呼び出したら可哀想だでよ。一人で来てまったわ」
「まったく……。じゃあ、今から迎えに行くからそこ動かないで」
「もう移動中だわ。あんたんとこ行こうとしたけど道が分からんでかんわ」
「今どこに居るの?」
「どこか分からんくなってまったでかんわ。図書館は分かるんでそこまで来てちょー」
 前の家は中村区だ。母が図書館と言えば当然中村図書館だ。私の家は中村図書館の近くなのですぐに行ける。
 中村公園入口の鳥居の横から図書館へと向かう。しかし、今日は月曜日で休館日だ。まだ母は着いていないようなので図書館の前で待っていた。
 しばらく待ってもやってこない。迷ってしまったのだろうか?
「お母さん、今どこに居るの?」
「図書館にいったけどやっとらんかったわ。だもんで隣の公園で待っとるわ」
 中村図書館がある場所は中村公園の敷地内である。敷地内には豊国神社もあり広めの公園だ。
「公園って言っても広いわよ。どの辺りに居るの?」
「富士山が見えるところだわ」
 富士山というのはピンク色の富士山すべり台のことである。正式にはプレイマウントというらしいが私達は富士山と呼んでいた。富士山がある場所は中村公園だが、名古屋競輪場の隣の西公園の方だ。
 急いで移動したが母の姿は見えない。年寄りと言えばゲートボールをしている人だけだ。ベンチには誰も座っていなく、富士山すべり台には小さな子供を遊ばせているママらしき人しか見当たらない。
 私も小さい頃よく母に連れられて富士山で遊んだっけ。
「お母さん、どこに居るの?」
「公園におるがね。あんたこそどこにいっとりゃーすの」
「富士山公園よ。中村公園の」
「あんた、何でまたそんなところに行っとるの? 水道公園に来てもらわんとかんのに」
「水道公園? どこ……そこ?」
「何言っとるの。水道公園は水道公園だがね。配水塔のある」
 はっと気がついた。配水塔といえば稲葉地公園のアクテノンだ。円筒形の建物で、名古屋市演劇練習館となっている。昔は水道局の配水塔だった建物で、配水塔の役目を終えて図書館となった。
 そうか! 母が図書館と言っていたのは昔の中村図書館で、このアクテノンのことだったのだ。
 中村図書館はその後、中村公園の今の場所に移転して、配水塔はアクテノンと名称を変えた。
 水道公園とは配水塔があった時の名残で、稲葉地公園の前の名前である。
 急いで稲葉地公園に行くとピンク色の富士山が出迎えてくれた。
 そこには母の姿も。
「ようやっとこりゃーたか。まっとったでね。やっとかめだなも」
 久しぶりの母の姿。東京に行く前に会ったときよりも痩せて小さく見える。
「覚えとる? 昔はようここで遊んどったの」
 幼い頃の思い出がよみがえる。母に連れてこられた富士山はここだったのだ。
「最後に一目あんたに会えてよかったわ」
「えっ!? 最後って……」
 その時、スマホの着信音がなった。相手は兄である。
「はい、私。どうしたの?」
「母さんが……亡くなった……」
「えっ!? 何言ってるの。お母さんならそこに……」
 視線を母の方へ移したが、そこには母の姿はなかった。
 仕事中だった兄は嫌な予感がして母のケータイに電話をしたが通じず、会社から駆けつけて母の様子を見に行ったのだという。
 私のスマホの着信履歴には母のケータイの番号は残ってはいなかった。
 母は最後に私に会いに、私との思い出の場所に来たかったのだろう。
 富士山の頂上から見上げた空は遠く母のところまで繋がっていた。

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