NAGOYA Voicy Novels Cabinet

フルタイムジョブ

黒板

  もうすこし肩の力を抜いて生きねばとは常に思う。しかしそれは言うは易しでなかなか実際には難しい。だから私はもっとF先生に学ぼうと思う。
クラスのお調子者がその宿命にかられ、掃除の時間にほうきを抱えて
「盗んだバイクで事故に遭う」
とさけべば
「エアそうじはいかん」
とつぶやく。それがF先生である。

朝私が登校するとき、F先生が用務員のおじさんと通学路沿いのコンビニの喫煙コーナーで、紫煙をくゆらせつつ世間話をしているのをときおり見かける。公共マナーにやかましいこのご時世にあって、生徒の目につくところでのタバコは御法度のはずであるが、教員最年長であるうえ生来の治外法権的空気をまとうF先生にそれは野暮というものである。
夏場など構内の草が早く大きくなる、用務員さんの繁忙期には、二人して汗ばんだTシャツ姿で話に花を咲かせている。朝早くからの草取りを終えた後、ベンチに並んで和やかに休憩する二人の醸す風情は何とも言えず良い。F先生に何か役職や肩書があるのかは知らないし常勤なのか非常勤なのかも曖昧である。用務員さんの着ている無地のTシャツに対し、F先生のそれはいつもスヌーピーの4コマ漫画の一場面があしらわれていて、私は英語を真剣に勉強している都合、その吹き出しの科白を拙訳することがある。

『君のおじいちゃんは、いつも何してるの?』
『おじいちゃんしてるのさ。』

などと。 

私のクラスの担任は学年主任であるため、忙しくて帰りのホームルームに出られないことが多い。そんな場合は決まってF先生が代役を務めてくださる。それは授業というより、先生が現在関心をもっていることを徒然に語る雑然としたものである。本来は数学教師であることも功を奏してであろう、飾らない自分の言葉で語るF先生が私はとても好きである。もちろん文系の先生の雄弁も嫌いではないが、人に語りかけるとき語り手が変に自らを飾れば、そこに嘘が入るから真心の純度は落ちる。そうなると、私は素直な聞き手になれないのだ。
もちろんアドリブ的なフリースタイルで話す人につきものの、広げた話が畳めなくなる場合はF先生にも多い、しかし話が逡巡しだすときまって、絶妙の間でチャイムが鳴る。それで先生はちらりと腕時計に目をやり、軽く挨拶をしてから教室を離れていく。

残暑が厳しい日の昼下がり、ホームルームを任されたF先生は首にかけたタオルで汗を拭きつつ、現在興味を持っているという反物質なるものについての概論を語りだした。一昔前に話題になった映画を最近DVDで観てからマイブームだという。しかし理系学問とはいえ物理は門外漢のF先生であるから、話は先へすすむにつれ、そのいわんとするところがすこしずつ曖昧になり、今日は風呂敷が畳めなくなるパターンの日であることをF先生自身も含んだその場の全員が認識し、その分水嶺を超えてから、ベクトルを失ったそれは無益な方向へと順調に加速していった。その自由落下の重力加速にも似た、ある種の自然さは、まるで私と同じ方向に走ってくれる気の置けない伴走者のようである。私は午後の倦怠の中で眠りへと落ちていく。
しかしまどろんだ私の目は、突如先生の着ているTシャツへフォーカスし、そこで一瞬だけ午睡への落下にブレーキがかかった。
私の目をとらえたのは、スヌーピーが犬小屋の上で寝そべっているお決まりな図案に添えられた英語の科白である。私はそれをノートに書き留めた。そして安心してふたたび落ちていった。今日も心地の良いゆるみをもたらしてくれたF先生に感謝しながら。

目が覚めた時、黒板には
「エア人生」
とだけ書き残されていた。

教室にはもうだれもおらず、教室のがらんどうさ加減がその言葉の漠然たる印象をさらに強めていた。私はその所在なさに身をゆだねてしばらく呆然としたが、おもむろに自分の手元へと視線を移し、先ほどノートに書き留めた先生のTシャツの言葉をしばらく眺め、訳した。

『…犬であるってことはそれだけでフルタイムの仕事でね。』

かようにして、私のお手本はF先生なのだ。

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