NAGOYA Voicy Novels Cabinet

ささやかなプレゼント

たくさん並んだ焼き菓子

 地下を出た黄色ラインの地下鉄を、終点の一駅手前で降りる。日曜日のお昼時、利用客は多くない。初夏の風が、淀んだ私を爽やかに洗う。
 気がかりは消えないけれど、気持ちは幾分か晴れていく。
「悩み事は夜にしちゃダメよ」と頭の中でおばあちゃんが言う。
「お日様に当たりながら考えるの。そして、ひとしきり考えたらポンと隅に置いて、美味しいものを食べるのよ」
 会いに行くたび、そう言ってはお菓子をくれた。
 
 駅を出て、道なりに進む。そんなつもりはないのに、ダラダラという表現がぴったりとくる歩き方をしてしまう。耳の奥でおばあちゃんが「みっちゃんは背が高くて素敵ね」といつものように笑う。笑い声につられて背中が伸びて、足取りが少し軽くなる。ほとんど車の通らない車道を、横断歩道で正しく横切った。

 郵便局の向かい、茶色い建物のテナントに、目的の焼き菓子屋さんが見えた。ガラス張りの店内を覗く。反射してよく見えないが、イートインスペースも含めてどうやらお客さんは居ないようだった。数十分前に遅い朝食で牛乳を流し込まれただけのお腹が、甘い幸せを想像して早くも鳴る。

 ガラス戸を押して、魅惑的な店内に入った。甘い匂いが似合う女性が柔らかく迎えてくれる。こんにちは、と挨拶しながらも、目は並ぶお菓子に奪われる。
 オススメはスコーン。ハリネズミやリスの形をしたクッキーも可愛い。その一つ一つの焼き菓子が、小さなリボンで包装されているのがまた良い。大切に生み出されたお菓子たちなのだとわかる。
 甘い作品たちを見回してから、「カフェでお願いします」とお姉さんに声をかけて、横長の店内を進む。二つあるテーブル席も空いているが、カウンター席の隅に座った。カフェメニューを開くと、またお腹が鳴る。
 スコーンは買って帰ろう。シフォンケーキも美味しそうだ。けれど、やはりパフェだ。ここのパフェには、焼き菓子もシフォンケーキも乗っている。あれもこれも食べたい私にぴったりだった。

 チョコレートパフェを注文して、再びメニューに目を落とす。
 このお店ではないけれど、昔おばあちゃんによくパフェを食べに喫茶店へ連れて行ってもらった。おばあちゃんは必ずウィンナーコーヒーを頼む。たっぷりの生クリームの上にチョコスプレーが乗っていて、とても美味しそうだった。予想に反してコーヒーが苦くて、小学生の私には飲めなかった。社会人になった今でも、コーヒーは得意ではない。ウィンナーコーヒーはずっと、おばあちゃんのためのものだ。

 今日、おばあちゃんは手術をしている。
 昨日の夜にお母さんから連絡があった。簡単な手術らしいから帰ってこなくて良いからね、まあ年だからいろいろとね、と。おばあちゃんは足が悪くなってから、実家近くの施設で暮らしている。二年前に県外で一人暮らしを始めた私は、三か月に一度、実家に帰る。おばあちゃんに会いに行くのは、そのうちの半分くらいだった。

 連絡をもらった途端、おばあちゃんがお年寄りになった気がした。おばあちゃんとの時間は当たり前に有限なのだと、急に胸の奥で重く気付いた。小学生の頃からずっと、私は甘えてばかりいる。いつだって自分のことで忙しくて、人のことを後回しにする。おばあちゃんも、そして両親も、老いていく。もちろん私だってそうだけど、それとは違う。大切にしてもらってばかりいるのは、私だけだ。私だけ、まだ何も返せていない。

 お待たせしました、と目の前にパフェが置かれた。泣きそうになった口をぎゅっと結ぶ。一口サイズのクッキーにシフォンケーキ。主役のチョコレートは、アイスやソースでたっぷりと。
「美味しいものを食べると、不思議と心が軽くなるの。悲しい気持ちになるときは、だいたいお腹が空いているときよ」とおばあちゃんが笑う。
 おばあちゃんは、いつだって優しく笑う。
 今日は、コーヒーと生クリームとチョコスプレーを買って帰ろう。ウィンナーコーヒーを作る練習をして、今度の週末は、おばあちゃんに会いに行こう。
 よし、と大切に隅に置いて、美味しいパフェを、私は食べる。

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