NAGOYA Voicy Novels Cabinet

星ヶ丘の清ちゃん

オムライス

 星ヶ丘のおばちゃんというのはわたしの祖母の妹のことで、星ヶ丘に住んでいるからそう呼んでいたのだった。本名は「清子」という。苗字は聞いたことがあるかもしれないが覚えていない。小笠原だったか小松だったか。ずいぶん前に離婚しているので、その時の苗字が何だったのかもわからない。祖母や母や親戚筋などからは「清ちゃん」と呼ばれていて、わたしと、わたしと二つ離れた妹はずっと、本人の前では「おばちゃん」、それ以外では「星ヶ丘のおばちゃん」だった。
 小さい頃は、よく連れ立って東山動植物園へ遊びに行った。当時の写真を見ると、清ちゃんは結構な割合で一緒に写っていた。そしてたびたび身内で話題になるのだが、清ちゃんは全然歳を取った感じがしないのだった。縁の細いメガネもずっと同じデザインだし、髪型も変わらなかった。冗談めかして、魔女なのではないかと言ったりして、本人や周りはふふふと笑うのだった。
 動物園を出ると、地下鉄に乗り星ヶ丘の三越で食事をするのがお決まりだった。上の階にあるレストランで、わたしと妹はいつもオムライスを食べた。卵がふわふわの、今どきのやつではなくて、UFOを横から見たような、しっかり形が整って、真ん中にケチャッがかけてあるオムライスだった。
 「あんたたちいっつもそれだねえ。飽きんの? たまにはハンバーグとか、お子様ランチとか食べやあ」
 と清ちゃんは言うのだが、わたしと妹はここに来たらオムライス! というのがなんとなく楽しく、あと、妹がいつも通りオムライスを頼んでいるのにわたしはハンバーグ、だとよくわからないけど悔しい感じがして、そういう感覚は妹も同じだったと思う。
 レストランの窓からは街を一望できる感じがした。三越はエレベーターもガラス張りで透けていた。登っていくときにすーっと宙に浮くみたいで、さっき遊園地を出たのにまた遊園地みたいでわくわくした。その流れでレストランに入るので、観覧車のてっぺんで食事しているようで気分がよかった。わたしたちは長い時間おしゃべりをしたのだった。
 でもそれはもしかしたら、東山のスカイタワーから見た景色とごちゃまぜになっているのかもしれなかった。今からだいたい二十年前くらいの話だし、そのあたりはぼんやりしている。けれども、当時は今よりも高い建物も少なかったし、あながち間違いではないとも思う。とにかく清ちゃんと一緒に時間を過ごしたのは間違いない。
 わたしが中学生くらいになると、動物園に行く機会も減り、清ちゃんと会うのも正月に祖母の家で少し顔を合わせる程度になった。一度、全然別の用事で星ヶ丘の三越へ行った時、偶然買い物中の清ちゃんに出くわした。母とひとしきりしゃべったあと、わたしと妹に、
 「オムライス、食べてくかね?」
 と笑いかけてきた。妹はわたしの顔をみた。わたしはなんだか気恥ずかしくて、本当はお腹がすいていたのだけど、
 「今お腹いっぱいだから、いい」
 と言った。清ちゃんは
 「そうかね。ほんならちょっと待ちゃあ」
 と言って、わたしと妹に、千円と五百円、おこづかいをくれたのだった。
 次第に正月の集まりにも清ちゃんは顔を出さなくなって、ずいぶん久しく会ってなかった。星ヶ丘も様変わりした。「星ヶ丘テラス」なんて、思いもよらなかったオシャレなお店が立ち並んで、垢ぬけた若い人でにぎわう街になった。
 妹と一緒に出かけて、三越を背にして緩やかな坂をのぼっていると、妹が急に、
 「ねえ、あの人、星ヶ丘のおばちゃんじゃない?」
 と言うので、視線の先を追うと、小さな女性がひとり、ゆっくり歩く後ろ姿があった。顔が見えないのでわからない。
 「今さっきふり返ったところが見えて、メガネかけてたし星ヶ丘のおばちゃんだと思う」
 と妹。離れているからか小さく見えた。あんなに小柄だっただろうか? それともわたしが大きくなったか、星ヶ丘が変わったか。
 呼びかけて引き止めたかったが、本人にむかって「清ちゃん」と言ったことのないわたしは、大声で「おばちゃーん!」と叫ぶわけにもいかず、じりじりと迷っていた。

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