NAGOYA Voicy Novels Cabinet

宝物

交通安全の旗

「人生はマラソンである」とよく言われる。長い道のりも一歩一歩進んでいくことで、必ずやゴールに辿り着く。スタートに立つ前の高揚感はさしずめ生まれたての赤子の微笑み、レース中盤は沿道の応援を浴び、まるで自分が主役になったのではと錯覚する1人舞台、青春の若さゆえの強さと同じである。ゴール直前の足が鉛のように動かず自己犠牲と過去の栄光を追懐する時間は、まるでもう一つの人生があったのではないかともがく初老期。そして最後にまつ安堵のゴール。うまくたとえたものだ。
 今私は齢60を過ぎ、レースの折り返しを回ったところである。私には毎日の日課がある。日課と言えば聞こえはよいが、実は病に伏せ今は施設に入居する母がしていた役を代わりにと何となく請負い、辞めどきが分からないでいる。毎朝7時30分になると玄関に吊るしてある黄色い交通安全の旗を手に取り、自宅前の2本筋向こうの点滅信号に立ち、小学校に通う子ども達の登校を見守る旗振りおばちゃんをしている。昨今では共働き世帯も増え、平成のはじめのように親が送迎時に家の前で立つ姿も見られなくなり、旗振りも当番化され義務的になってきていることに時代の移り変わりの憂いを感じる。専らリタイア組や地域に思いを寄せる防犯パトロール隊の有志がその役をかっている。
 秋が深まってきた朝のある日、思いもよらない質問を受けた。交差点は5グループが一定間隔で6年生の班長を先頭に1年生から4年生が列を作り、副班長役の5年生が最後尾となり5~6人ひとまとまりで通過していく。旗振りも5年目を迎えると、子ども達の顔や名前が分かるようになる。その姿を見て、「今日は元気ね」とか「昨夜は寝るのが遅かったのかな」など子ども達の心に寄り添う。親の顔を知らない分自由な発想が私を楽しませる。さて、今日も子ども達の様子はいかほどに…と思い立っていると息を切らしながら歩いてくる1人の女の子がいた。班長を追い抜かないようにしているものの勇み足だ。
「おはようございます」
「はい。おはよう!いってらっしゃい。」
グループ全体に声をかけるや否や質問がきた。
「旗振りのおばちゃん。みぃちゃんね、聞きたいことがあるん。おばちゃんの宝物は何?」
落し物があったとか雨が降るか降らないかと天候などを聞かれる事はあっても、個人的なことを質問されたのは初めてだった。
「たからもの?おばちゃんの宝物ねぇ~。みぃちゃんの宝物は何ですか?」
と聞き返した。
「みぃちゃんは、お寿司の消しゴム・ピンクのハンカチ・プーさんのぬいぐるみなんやけど、それはたからものって言わんっていわれたん。おばちゃん、また明日教えてな。」そう言うと後ろの5年生の子と一緒に前の子たちへ追いつくべく足早に進んで行った。最近名古屋へ転校してきた3年生のみぃちゃんは、誰との会話で自分の宝物を宝物ではないと言われたのかも分からないまま、私へ大きな宿題を預けて行ってしまった。思いもよらない少女からの質問に空を仰ぐ私だけが残された。
 家に戻り静まり返ったリビングを見渡した。「おばちゃんの宝物はなに?」さっきの声が頭に木霊する。考えたこともなかった。長年勤めた職場を離れ、時間が生まれ最初にしたのが断捨離。不要な物を減らし生活に調和をもたらしたつもりだった。要らない物を分別したが、残した物が宝物かと尋ねられると、のらりくらりと講釈をつけてしまいそうになる。
 その時携帯のアラームが鳴った。8時、連続ドラマを知らせる時間。「宝物」・・・もはや物ではないのかもしれない。ふと携帯のアラームボタンを押しながらそう考えた。朝旗振りの日課からスタートする1日は、長い人生の何千・何万分の1。これまでの人生、軽快に歩く日も息切れしながら歩く日も、決して平坦ではなかった。その毎日の積み重ねが今に致る。好き勝手ができる今こそ宝なのかもしれない。人生を歩み始めた小さなランナーに気付かされたこの答え。みぃちゃんには少し難しい答えになりそうだわとほくそ笑んだ。

モバイルバージョンを終了