NAGOYA Voicy Novels Cabinet

ずっとのおうちをさがしています

座っている猫

「おとなの猫の譲渡会?」
 地下鉄の吊り広告に、明子さんの目が止まりました。
 昼下がりの地下鉄名城線。この時間帯にしては、車内はすいています。
 その広告は、自由が丘の名古屋市動物愛護センターで開催される保護猫の譲渡会の案内でした。
「猫を飼うのなら、子猫の方がいいな。可愛いし小さいころから飼えば懐くだろうし」明子さんはそう思いながら、うとうと眠ってしまいました。

「次は市役所、市役所」 
 車両の扉の閉まる音とアナウンスに、明子さんは飛び起きました。栄駅で降りるつもりだったのに次の駅を乗り越し、そのまた次の市役所駅まで行くことになってしまったのです。
「あーあ、やっちゃった」
「大丈夫ですよ。環状線だから、ずっと乗っていればまた栄駅に着きます」
 明子さんの横から親しげに話しかけてくる声がします。隣を見ると、なんと! 黒白の猫がちょこんと座っているではありませんか。
「おとなの猫は可愛いですよ。動物愛護センターに行ってみませんか?」
 また、猫が言いました。人間の言葉をしゃべる猫なんて、これまでお目にかかったことがありません。動揺いちじるしい明子さんはキョロキョロ車内を見回しましたが、他の乗客は誰も猫を気にしてはいません。
「運良く、今日は譲渡会の日ですよ。これから行ってみませんか?」
 猫の声はけっこう大きくて、まわりに絶対聞こえているはずです。それなのに、やっぱり誰も気にしていません。明子さんは仕方なく小声で猫に答えました。
「でも、おとな猫より子猫から育てた方が懐くと思うし」
 むげに「行きたくない、おとな猫なんて飼いたくない」と断れば、この猫が傷つくと思い気を使ったつもりでしたが、猫は悲しそうに明子さんを見上げました。
「猫を飼ったことがありますか」
「いいえ。犬なら飼ったことはあるけれど」
 明子さんはそう答えてから、犬が亡くなった日のことを思い出して切なくなりました。あのこは今頃、虹の橋で元気に暮らしているのかしら…… 感傷にひたる明子さんにおかまいなく、猫は急に意気込んで言いました。
「それなら、子猫よりおとな猫の方がいいですよ。わたしみたいな」
「はい?」
「猫飼いの初心者さんなら、おとな猫の方がいいです」
 明子さんは、猫のあまりの一生懸命さにちょっと興味が出てきました。
「おとな猫は成長して性格も体質もわかっていますから、相性ぴったりな猫と出会えますよ。それに人馴れやトイレのトレーニング、健康診断も済んでいるから安心です」
「でも、子猫の方が懐くんじゃないの?」
「子猫は性格もまだ定まっていないし、人間の赤ちゃんや子供と一緒で体調が急変しやすく、お世話するにも覚悟がいります。しつけもこれからしなければなりません。猫飼いの初心者さんには、断然おとな猫がオススメです」
「でも、おとな猫って懐かないんじゃないのかしら」
「まだ、そんなことを言っているんですか。『でもでもでも』ばっかりですね。ほら、百聞は一見にしかず。わたしは懐いているじゃないですか」
 猫は明子さんの膝の上に飛び乗りました。明子さんはびっくりしたものの、膝の上で猫がゴロゴロと喉を鳴らす音を聞いているうちに、また眠くなってきました。

「まもなく自由ヶ丘、自由ヶ丘。お出口は左側です」
 明子さんは驚いて飛び起きました。市役所駅どころか、そのずっとずっと先の自由ヶ丘駅まで来てしまったのです。慌てて開いた扉から降りると、後ろから猫の声がしました。
「動物愛護センターはここで降りて、2番出口から徒歩15分ですよ」
 明子さんが振り向くと、車両の窓からのぞいていた猫はぴょんと跳ね上がり、吊り広告の中の写真になってしまいました。
 あっけに取られている明子さんの目の前で扉は閉まり、車両は次の駅に向かって発車して行きます。
 しばらくホームで呆然と立っていた明子さんでしたが、ふと、これも何かの縁だから譲渡会に行ってみようかなと思いました。
「2番出口って、あのこは言っていたっけ」
 明子さんは、なんだか動物愛護センターで、あの猫が待っている気がしてなりませんでした。

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