NAGOYA Voicy Novels Cabinet

手紙

画用紙に描いた絵

 職場とウィークリーマンションの往復生活が始まって何週間が過ぎただろうか──

 疲れすぎてお風呂に入るのも億劫だ。
 アルコール消毒をし過ぎた手は所々が赤くなっている。

「あ、電話しなきゃ──」

 同じことの繰り返しの日々でも心安らぐ時間がある。それは家族への電話だ。

「もしもし、もう寝ちゃった?」

 パソコンからテレビ通話で電話をかける。
 画面にはテレビ通話に不慣れな旦那の顔がドアップで映し出された。

『おー、うわっ!俺めちゃくちゃドアップやん。傾けて──よし、と。今日も遅くまでお疲れ様。さっきまで起きてたんだけどねぇ。寝落ちしちゃった。寝顔映そうか?』
「そっかぁ。残念。起こしちゃ悪いからいいよ~」
『明日写真送るよ。──病院はどうだ?相変わらず?』

 私の仕事は看護師だ。陽性患者が入院している病棟で働く私は感染リスクが非常に高い。
 感染拡大を防ぐため一時的に離れて暮らしているという訳だ。

「猫の手も借りたい程に忙しいよ」
『だよな。ニュースで医療現場の特集を見たよ──あ!そうそう、幼稚園でママに手紙を書いたらしいんだ。パパには見せないって見せてくれなくってさ~』
「そうなの!?うわぁ見たい見たい!」
『明日、俺の出勤前にドアノブに引っ掛けておくよ』
「ありがと~。めっちゃ楽しみ」
『それじゃあ、ゆっくり休めよ』
「うん、おやすみ」

 娘の顔を見れなかったのは残念だが明日手紙が貰えると思うと少しばかり元気が出てきた気がする。

 翌朝───

 まだ起きるには早いが手紙が気になり起きてしまった。

“コツコツコツ──”

 聞き慣れた革靴の足音が扉の外から聞こえてきた。

「来たっ!」

 私は急いでアルコール消毒をしてマスクを装着し玄関の扉を少しだけ開けた。

「うおっ!びっくりしたぁ。起きてたのか」
「えへへ。手紙が早く読みたくて」
「ちゃんと寝ろよなぁ。はい」
「あー、だめだめ。ドアノブに触れないように引っ掛かけて」
「お、そうだな」

 旦那は私に言われた通りにドアノブに触れないよう、手紙を入れた紙袋を引っ掛けた。

「ありがとう」
「……緊急事態宣言が解除されたら帰れるよ」
「うん──」
「袋の中に栄養ドリンクとか入れておいたから仕事前に飲みなよ」
「えー!ありがとう!」
「それじゃあ、俺行くよ」
「気をつけてね。行ってらっしゃい」

 扉の隙間から旦那の背中を見送った。
 ドアノブにアルコールスプレーを吹き掛けて紙袋を取り部屋へと戻る。

「さ~てと」

 紙袋を開けると栄養ドリンクやおにぎりなど旦那からの差し入れが入っていた。

 そしてくるくると丸められた画用紙が1枚。これが娘からの手紙なのだろう。先生が結んでくれたのか赤いリボンが巻かれていた。

「わー、ひらがな書けるんだぁ」

 画用紙を広げると「ままへ」と書いてある。
 白い画用紙には赤い十字と四角い箱、それからたぶん私と思われる似顔絵が描かれている。

「ふふふ、これ私と病院かなぁ?ん?むむ……これは──お、し、ご」

 絵の下にはぐにゃぐにゃで普通の人は解読不可能な字が書かれていた。ママだけが持つ特殊能力を発揮させ娘の書いた蛇の文字を読んでいく。

「と、が、ん、ば、れ──」

“おしごとがんばれ”

 何度も上書きしたかのように太文字で書かれた8文字がじわじわと滲んでいく。

「うぅー。ママ頑張るよぉ~」

 家族に会えない寂しさ、見えないウイルスへの恐怖、忙しすぎる医療現場でのストレス──でも医療従事者だから、頑張らなくちゃ。

 でも私はロボットじゃない。
 一人の人間で、一人の母親。

 ずっと我慢していた感情が大粒の涙となって一気に溢れ出した。

「はぁ……泣いたらすっごいラクになった。よっし!今日も頑張ろう!」

 ───その後、緊急事態宣言が解除され自宅には戻れるようになった。けど油断は出来ない。

 これからも、大切な人を守るために一人ひとりが出来る感染防止対策をしていかなければならないだろう。

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