公園の陽だまりに
公園の陽だまりに、おばあさんが一人。
ある春の澄んだ陽気、こぢんまりとした公園のベンチに腰掛けて、ぽつねん。子どもたちはボールを追って駆け回り、主婦たちは犬を連れて立ち話に花を咲かせている。けれども、おばあさんは一人ぼっちだ。毎日昼になると公園へやってきて、夕方五時の鐘を聞くと家に帰る。その間、おばあさんは根を真っすぐに張った老木のようにぴくりとも動かない。おばあさんは目が悪い。最近、耳も悪くなってきた。きれいに咲いた桜の花や、楽しそうに騒ぐ子どもたちの声も、おばあさんには何一つ分からない。分からないけれど、一人で部屋にこもるよりは、ぼんやりとした太陽のぬくもりや吹き抜ける空気の肌ざわりを感じていた方が、いくぶん気持ちが楽だ。だから、おばあさんはずっと前からこうしている。それがどのくらい前からなのか、おばあさんはもうとっくに忘れてしまった。
「こうしてずっと座っていたら、いつか太陽や風や木々なんかが、わたしを気づかって話しかけてくれやしないかしら」
そんな風に考えていたこともあったが、太陽や風や木々たちのささやく言葉は、おばあさんにはいつまでたっても分からない。いつか分かる日も来るのかしら。そんなことを思いながら、おばあさんは今日も曲がった腰を持ち上げて、杖をつきながら公園のベンチにゆっくりと腰を下ろすのだった。
その日、おばあさんはいつものベンチに腰掛けて、陽だまりの真ん中でうつらうつら。眠そうに眼を閉じて、ぼんやりとした春の風景に、今にも溶けてしまいそうだった。
「ちょっと、お隣よろしいですか」
そのとき、おばあさんは何やら低くしゃがれた声を聞いた。はじめ、その声が自分に向けられているとは思いもしなかったが、ゆっくりと目を開けて隣を見てみると、こちらを見つめてかがんでいる銀髪の男が一人。目が悪いおばあさんには、その人の姿はぼんやりとしてよく分からなかったが、どうやら自分より一回り、二回りほど若い、初老を過ぎたおじいさんのようだ。
「あ、はい、どうぞ」
おばあさんはそう答えて、ふたたび目を閉じた。ずいぶん久しぶりに声を出したなあ。危うく人の言葉を忘れてしまうところだった。そんなことを考えていると、また隣から声がした。
「今日、じきに雨が降り出しますよ。傘お貸ししましょうか」
おじいさんは、そう言って小さなポーチから折り畳み傘を取り出した。おばあさんは、一本の杖以外何も持っていない。
「え、そんな、申し訳ないじゃありませんか。お気づかいなく」
おばあさんは、少し驚いて体を起こした。そのとき、ちょうどぽつん、とおばあさんの腕に冷たいものが落ちた。
「おやおや、言ったそばから降りはじめましたな」
おじいさんは、折り畳み傘を開いておばあさんに渡した。
「ごめんなさい、昔から女性を雨に濡らすのがどうしても嫌なんです。今の時代、そんなこだわり流行らないかもしれませんが……」
そして、おじいさんはハンチング帽をかぶって去っていった。雨のそぼ降る公園に、おばあさんが一人。けれども、傘を握りしめるおばあさんの表情は、陽だまりのように柔らかくほどけている。
「長いこと生きていれば、こんなこともあるのかしらね」
そう呟いて、おばあさんはしばらくの間、春雨に打たれる公園を眺めていた。
それからしばらくたったある日。今日も今日とて、おばあさんは公園のベンチに腰掛けて、ぽつんと一人ぼっち。けれど、おばあさんには待ち人がいる。手に握りしめた小さな傘を、その人に返すために。あの日言いそびれてしまった「ありがとう」をその人に言うために。おばあさんは、生きる目標があるって素晴らしいことなのね、と思いながら、今日も明日もこのベンチで、陽だまりの中でずっと待ち続けるだろう。大丈夫、きっといつか会えるよ。