リーダーの背中
今この国は保育士不足であると、私がこの職に就く前からテレビで度々取り上げられていた。様々な要因があるらしいが、一番の問題は保護者からのクレーム対応ではないかと思う。
『先生…どういうことですか!?何でウチの子の役がサルなんですか?今日泣いて帰ってきたんですよ!桃太郎がよかったって!』
イヤイヤ、平等にクジで決めたんだから。
『おばあさんの役だけじゃ、見せ場が少ないじゃないですか!こっちはカメラも新調したのよ?』
知らないわよ、それはそっちの問題でしょ。
『確かにウチのカナちゃんは物静かですけど、桃の役ってどうなんですか!?桃太郎にしてあげて下さいよ!』
おかしいでしょ、女の子で桃太郎って。
幼稚園の学芸会。私の組は「桃太郎」のお芝居に決まったが、役柄が決まったその日から苦情の連絡を何度も受け取っている。
可愛い我が子の晴れ舞台。気持ちは分かるけど、まさかこんなにお叱りを受けるとは。本当に役を代えるなら今のうちだが、それで他の園児や保護者に贔屓したと思われてもまずい。
あぁどうしたら。
「先生、今お時間よろしいですか?」
私しかいない職員室に響く高い声。振り向くと、背筋をピンと伸ばした男の子が立っていた。
「ユウトくん…」
この子は私の組の園児だ。この幼稚園に赴任して半年、色んな子供を相手にしてきたがこの子はみんなと違い、とにかく大人びていた。
いつも自宅から持ってきた難しそうな分厚い本ばかり読んでるためか、大人に負けないくらい色んなことを知っている。
「ご相談があります。学芸会の桃太郎役の件ですが、辞退したいんです」
振る舞いや言葉遣い、どれもが幼稚園児のそれじゃない。まるで大人を相手にしているようだ。
だからこそ、クジで決まったとはいえ周りの誰よりもしっかりしてる彼が主役なら安心だと、胸を撫で下ろしたのだが。
「劇の配役にクレームが来ているんですよね?別にどの役でも構いませんし…何より、先生の辛そうな顔を見たくありません」
私はハッとした。子供達の前では顔に出さないようにつとめていたつもりなのに。
「ユウトくん、心配してくれてありがとう。でもね…」
私は小さく溜め息をつく。
配役に異議を唱えたお母様方は、自分の子供を主役にするように訴えてきている。しかし桃太郎の椅子は一つしかないし、他の役もあるのだ。
鬱々とした空気が漂い始めたとき、「先生」とユウトくんが声をかけてきた。
「ひとつ、提案があるのですがよろしいでしょうか?」
彼は企むような顔つきであるアイデアを出してきた。その提案に、私は顔の筋肉が引きつるのが分かった。
それから一ヶ月後。学芸会の劇は無事終了した。体育館に集まった保護者の皆様は、子供達の可愛らしい芝居に顔をほころばせながら拍手喝采―することはしなかった。
ただざわめいていたのだ。
舞台の幕を閉め、園児達を壇上から降ろしていく。そして最後にユウト君が私に「上手くいきましたね」と言ってきた。一番の汗を掻きながら。
『僕以外を全員、〝桃太郎の役〟にしてあげるのはいかがでしょうか?逆に〝それ以外の役〟を僕がつとめます。…えぇ、一人でです』
それはもう異様な時間だった。十九人が主役の衣装を着て桃太郎となり、ユウト君のみが無地の黒シャツでそれ以外の役―おじいさん、おばあさん、犬、サル、キジ、鬼…全てを演じきった。さながら一人芝居のように。
その姿にこの場にいる全員が胸を打たれていた。台本上の主役は桃太郎かもしれないが、間違いなくこの劇の主役はユウト君だったのだ。
だが、この件でクレームがくることはないはず。だって皆様の要望には、ちゃんと応えたのだから。
しかし、こんなアイデア私には思い付かなかった。何より思い付いても形にしようだなんて。
「これぞまさに、〝ピンチをチャンスに変える〟ってことですかね…先生?」
ニヤリと笑みを浮かべながら着替えに向かったユウトくんの後ろ姿を見て私はゾクっとした。その背中に彼が将来、沢山の人の上に立つ姿を想像してしまった。
良いリーダーになれるかは分からないが。