NAGOYA Voicy Novels Cabinet

誕生日はふたりで冷えたシャンパンを

シャンパン

 熱田神宮の、奥のお社が、とにかくすごい。と、同僚から噂を聞き、わたしは早速翌朝、電車を乗り継いで、その場所へと向かった。

 わたしは今、名古屋市内で会社員として働いていて、ある日、仕事帰りに立ち寄ったバーで、店主に一目ぼれしてしまった。その店は、名古屋駅の裏側とでもいうのだろうか、中村区にあった。カクテルの種類がたくさんあって、日替わりのお通しが絶品、ときにはジャズのライブが行われるような店だった。常連の友達もできた。毎日が楽しくなった。しかし、店主の彼に対して何か行動を起こせるわけでもなく、悶々としているうちに、もう一年も経ってしまった。そんな自分に嫌気がさして、完全な神頼みではあるのだが、今日、熱田神宮までやってきたのだった。
 そのお社は、たくさんの人でにぎわっている本殿とはまったく違い、こころの小径という、木々が生い茂っていて気持ちの良い、細い道の奥にあった。名前は一ノ御前神社といい、天照大神の「荒魂」をお祀りしているということだった。物事を推し進める力や勇気を与えてくださるという。今のわたしにぴったりではないか。その静謐な雰囲気に、否が応にも期待は高まっていった。そして、まさに自分が願っていることを願おうとした。しかし、付き合いたいとか結婚したいとか、そういうことを、どうしても願うことができなくて、結局、こう願った。
「誕生日を一緒に過ごせますように」
 これが叶えば、それなりの関係になっているはず。わたしは、弾んだ気持ちで元の道を帰って行った。

 しかし、それから芳しくない状況が続いた。明らかに彼を狙う女が現れたのだ。彼女は、酒の飲みすぎで声は枯れていて、煙草の吸いすぎで歯も真っ黄色だった。嫌いなタイプだった。そして、彼女には、わたしにはない、愛嬌があった。それもまた、悔しかった。
 バーに行くのが辛くなってきたが、個人的に約束をして会うほど、彼とは親密ではない。誕生日まではあと2ヶ月だった。わたしは、ある日、彼にそれとなく、自分の誕生日を伝えておいた。彼と誕生日を過ごすなら、きっとシャンパンで乾杯するだろう。よく冷えたシャンパンを、二つのグラスに注いで、見つめ合う。そんな妄想が浮かんだ。

 しかし、その後、何となしに決まりが悪くなり、店から足が遠のいてしまい、誕生日当日が来てしまった。わたしは店に行く気力もなく、家でごろごろしていた。すると、常連仲間からメッセージが来た。今から、友達がライブするからおいでよと。わたしは思い直し、できるだけおしゃれをして出かけた。そして、店まで向かう途中に決意した。もう、神頼みも人任せもやめよう。正々堂々と、祝ってくださいと、自分からお願いをしよう。
到着すると、店は満員だった。呼んでくれた常連仲間の横にむりやり席を作ってもらって、ライブを待つことになった。
 開始まで、あと10分あった。わたしは、今、勇気を出すことにした。
「あの」 
 わたしは店主に声を掛けた。
 彼はいつものように優しく微笑んでくれた。
「今日、わたし、誕生日なんです。だから、祝ってください」
 周りの客たちは、一斉にどよめいた。おめでとうと叫ぶ人、ハッピーバースデーを歌い出すジャマイカ人、口笛を吹く人も。
 彼は、わかっていたというそぶりで、冷蔵庫から一本のシャンパンを取り出した。周りの人たちが騒ぐ中、まずシャンパンは二つのグラスに注がれた。
「お誕生日、おめでとう」
わたしたちは見つめ合って、グラスを鳴らした。ハッピーバースデーの大合唱が聞こえた。まさに妄想どおりだった。周りにたくさんの人がいることをのぞいては。
彼と一緒に誕生日を過ごせますように、という願いは、見事に叶えられた。でも、それなりの関係には、まったくなれなかった。もっと欲張った願いをしておけばよかった、とも思ったが、そのときの精いっぱいの気持ちを願ったのだから、仕方ない。
今度、熱田神宮の、あのお社に行ったときには、彼の恋人になれますようにと、堂々と願える自分になれますように。

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