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熱田神宮にようこそ

熱田神宮

 負けるはずのない形勢だった。俺は、『俺がいつも勝っているやつ』に敗れてしまった。小学校5年生の時に、俺は熱田神宮で開催される将棋大会に出場した。予選とトーナメントを勝ち抜き、壇上で決勝戦を対局した。
 法事が重なり、岐阜から親戚が来ていた。家族と親戚で一緒になって俺を応援してくれた。
 俺は当時名古屋の将棋大会に勝ちまくっていた。将棋が好きで、プロを目指していた。親は中学受験に専念させたかったようで、その圧力に悩んでいた。大会の前日に、俺は豪語した。
「優勝できなかったら、将棋やめるで。中学受験でもなんでもやったる!」
 熱田神宮の宝物殿で、準優勝の表彰をしてくれた。壇上から降りたところで、運営のスタッフに話しかけられた。俺が将棋のルールを覚えた頃に、将棋教室で教えてくれた学生だった。
「4六金と詰めをかけられた時に、3三銀ではなく、1三銀ではどうだったかな。」
「うーん。あ、えっと。そうか。そうですね。」
「粘られて、流れがおかしかったけど、受けきれたね。でも、よく頑張ったね。」
「はい。ありがとうございます。」
 俺は逃げ去るように、宝物殿から出た。寒い中、足をすりながら、砂利道を歩いた。
 家族と親戚が蓬莱軒で待っていた。叔母さんが褒めてくれた。
「二郎くん。あと一歩だったけど、準優勝なんてすごいに!うちの子なんて、ゲームしかやらんで……。」
 俺は少しも嬉しくなかった。将棋をやめる約束をしていたのもあるが、準優勝は予選落ち以下だと、個人的には考えていた。大事な場面で負けると、『詰めが甘い』という癖がついてしまう。
 叔母さんが続けて、
「実はね、お祖母さんがね。こっそりと熱田神宮にお参りしてくれたんよ。そのお陰だがね。昔は『私は神も仏も信じとらん!』なーんて、言っとったがぁー。」
 婆さんは櫃まぶしを頬張りながら、満面の笑みを浮かべた。
「ほーんと、良かったがー。エラい思いをしても、お参りはしてみるもんだねー。」
 俺はカチンときた。
「あんなもんオカルトだよ!」
 それから俺はオカルトを否定し続けた。ネットと塾で覚えた薄っぺらいだけの知識だった。でも、彼らはつまらない知識を褒めるだけで、全く取り合ってくれなかった。
 その後、婆さんは俺に重要なことがある度に、お参りをした。そして、俺は大事な場面で失敗し続けた。特に受験では志望校に合格したことはなかった。
 医者を目指して、2浪したことがあった。必要以上に大きなプライドと負け癖は、大人になっても治らなかった。
 2浪目の夏のうだるような暑さに、心が折れたことがあった。俺は毎日、予備校の授業をサボり、古本屋で立ち読みをしていた。ある日、家に帰ると、親は諦めたような叱り方をした。
「お祖母さんは熱心にお参りしとんのに、何やっとん!今年が最後だからね。」
 俺は話と相手をすり替え、婆さんに罵声を浴びせた。
「どんなに祈ったって、変わるわけねーがや!婆さん、やめてくれ!」
 母が横槍を入れた。
「迷惑かけてないでしょ?好きにさせればいいじゃない。あんた、模試は受けたの?」
「うるせー!」
 俺は一息いれると、
「婆さん、意味ないって。お参りなんてやめてくれよ!」
 詰めが甘い奴は、メンタルが弱い。『勝負に負けるかもしれない』という当然のことを受け入れる余裕がないのだ。どんなに優勢な場面でも、失敗する恐怖と向き合えない。そして、だいたい最後は人のせいにする。
 真冬のセンター試験でイマイチの点数を取った頃だった。婆さんが熱田神宮へのお参りの途中で転んだ。雪の日のことで、その日に入院をした。数日後に、俺はお見舞いにいった。婆さんは俺を一瞥するなり、こう尋ねた。
「今年は受かったのかね?」
「もうすぐ受けるよ。」
 婆さんは顔を真赤にして怒った。
「あんた、何しとん!今年こそ受からんと駄目だがね!二郎!さっさと図書館行きー!」
 俺は目を逸した。ベッドの横の棚に、柄の部分が折れた合格祈願の御札が目に留まった。
 現在、俺は毎日、ランニングを兼ねて、熱田神宮にお参りをしている。

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