NAGOYA Voicy Novels Cabinet

歌をうたう

カラオケのマイク

 言葉の下手な人間なのです。
 そのくせ感情だけは人並み以上に溢れている。もっとも、それに気が付いたのもごく最近なのですが。
私がようやく見つけた日常で表現することができなかった感情を表に出せる手段、それがカラオケでした。昔から歌うことは好きでした。娘時代には美空ひばりや島倉千代子の曲が好きだったんですよ。ビートルズやフォークソングの全盛期でしたが英語の歌はどちらかというと苦手です。今でも洋楽はあまり聴きません。
 定年まで中学校で家庭科の教師をしておりました。昔、教師をしていたことを話すと「人前で話す仕事だったのだから言葉が下手ということはないだろう」と言われるのですが、それは違います。教師はあくまでも生徒を中心に物事を考え、思考し言葉を発します。人のために言葉を積み上げていくのです。だから自分の感情を表現するための言葉をもっていない。自分が何を考えているかを説明していくことはできるけど、自分が何を感じているかを伝えようとすると使える言葉が少なく稚拙で驚きます。「仕事も退職して時間はあるが何をしていいかわからない。夫は悪い人ではないが、デリカシーがない人で一緒にいる時間が苦痛だ。別にこれが普通なのだろう。文句を言うほどひどい状況でもない。だけどなんだか空しい。このままずっとこのままなのだろうか」自分の感じていることを伝えたくても、ほら、この程度なんですよ。
 きっかけはご近所の中西さんにカラオケ喫茶に誘われたことでした。そこで彼女が歌ったのが「恨み薄氷」だったのです。ここ数年、通信カラオケの演歌部門ランキングで常にトップ3に入るくらいに人気がある曲ですから一度くらい耳にしたことがあるのではないでしょうか。「男は針、女は糸 二人離れない ただ従うわ 女は死ぬまで 悲しいくらいに女なの あなたのざらついた舌 糸引く唇 熱いうねりを感じたい 抱いて 今まで見たことない景色を見せて」マイクを持ちステージに立った中西さんは、情感たっぷりと「恨み薄氷」を歌いあげました。中西さんは大人しくどちらかといえば地味な方です。私と同じ普通のおばさんのはずだったのに。驚きました。しかし、中西さんだけではなかったのです。カラオケ喫茶にくる常連さん達は多かれ少なかれみんなステージで別人のように感情を溢れさせ熱唱するのです。
 不思議でした。平日の昼間に五百円のコーヒーを飲みながら普通のおばさんが「あなたのざらついた舌 糸引く唇 熱いうねりを感じたい」とエモーショナルに歌う。私と同じで、もうただただ毎日が続いていくだけのような人たちがです。正直に言えば私は行きずり男女の情熱的な恋愛を歌った「恨み薄氷」が苦手でした。「怨歌」「艶歌」の作詞家といわれる岡部伊都子先生の世界は私には遠い世界の話のように感じられたのです。しかし、その日だけで何回も色んな人の「恨み薄氷」を聴いているうちに、自分も歌ってみようかなと思いました。しかも本気で。
 初めて歌う曲だからイントロが流れ出した時には緊張しました。「男は針、女は糸……」多少、音程が外れたような気がしましたが、気持ちがのるように声を出すことに努めます。すると岡部先生の描かれた主人公の気持ちが私に入り込んできたのです。決まった歌詞だからかえって気持ちがのりやすいのでしょうか。気持ちを自分で表現しようとすると上手く言葉にならず、考える時間が経過するにつれ感情は見えなくなってしまう。そうして長い間閉じ込められた感情が私の中には思った以上に降り積もっていました。「恨み薄氷」とシンクロして、曲の主人公の感情としてようやく外にでることを許された感情たち。それは本来の形で表現されなかった惨めな感情達なのかもしれないけれど。外に出られる、そのことを喜びどんどん溢れてくるのです。「……あなたのざらついた舌 糸引く唇 熱いうねりを感じたい 抱いて 今まで見たことない景色を見せて」気がつくと、私は泣いていました。中西さんがハンカチを貸してくれました。
 
 言葉の下手な人間なのです。だから今日も「恨み薄氷」を歌うのです。
「男は針、女は糸……」

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