NAGOYA Voicy Novels Cabinet

懐古の情

夫婦の後ろ姿

 私の女房は名古屋出身である。出会ってからすでに四半世紀を優に超えた。知り合ったきっかけは、私が勤めていた名古屋の接骨院に彼女が患者として来院したことである。その時彼女は23歳という若さで、ギックリ腰となってご両親に肩を支えられて辛そうに入ってきた。
「階段を下りていて、急に誰かに後ろから蹴られたような衝撃を受け、その場で崩れ落ちたんです」
問診で、そんな負傷原因を語りながら治療用ベッドでアイシングを受けていた。
若くて可愛い。そして生まれて初めてなったギックリ腰の痛みに耐え、今からどんな治療をするのだろうという不安と恐怖に苛まれてベッドの上で震えている。そんな彼女を見て私は一目惚れし、守ってあげたい、早く楽にしてあげたいと思い、毎日通院して来る彼女に好意を抱くようになった。
ある日院長に、
「彼女を一目見た時からビビビッときたものですからアタックしたいんですが、こういう場合どうしたらいいですか?院長の許可を取ったほうがいいのでしょうか?」
と問うと、院長は、
「告白して失敗したら、患者を減らすことになる。特に彼女の家は家族中が当院の患者さんだ。心して行け」
との仰せだった。「心して行け?」とは、私への激励か忠告か、告白してもいいのかそれとも悪いのか?わけのわからぬまま思案の末、言わずに後悔するよりも玉砕覚悟で突き進むことにした。彼女が寝ているベッドまで行き、うつぶせに寝ている彼女の手に小さなメモ用紙をにぎらせた。
「次の日曜日午前10時に、地下鉄御器所2番口であなたが来るまで待ってます」
これは自分でも銘文だと思った。来るまで待つということは返事がイエスにしろノーにしろ必ず来なければならなくなる。返事がノーでも来たら最後押しの一手だ。ところが彼女もしっかり者、帰り際に
「こんな手紙困ります!」
と言いながらメモを返してさっさと帰ってしまった。
見事玉砕。そしてそれ以後彼女も来なくなった。院長が、
「言わんこっちゃない」
と捨て台詞。私の心にもぽっかりと大きな穴が開いたのだった。
 しかし、神は見捨てなかった。10日ほどして彼女が再び来院した。
「もう(治療は)いいかなと思ったんですが、また痛くなってきたもので…」
院長は後ろに手をまわし、「こちらへ来るな!」と言わんばかりに私に向かって手で「しっ、しっ」として追い払ったのだった。また出会えたのに、彼女に近づくことさえ許されない禁断の恋となってしまった私はしょぼくれて他の患者さんを治療しながら、頭の中は彼女のことを考えていた。院内の彼女の動きを目で追いつつも心の中は打ちひしがれていた。しかし治療を終えた彼女は帰り際に私のそばに来て小さな声で、
「今度デートに誘ってください」
と言ったのだ。私は耳を疑った。と同時に「サクラサク」の五文字が瞼に浮かんだのだった。
 その後の行動は早く、彼女をデートに誘い逢瀬を重ねた。
 7月のある日、私は名古屋場所を見に行こうと彼女をデートに誘った。当時大相撲は若貴全盛期で満員御礼、連日札止めだった。彼女の家の前で出てくるのを待っていると彼女のお母さんが出て来て、
「今まわししとるで、もうちょっと待っとってちょ」
と言った。私は驚いた。いくら大相撲を見に行くにしても、ちょっと凝りすぎだと思った。でも本当にまわしをしてきたら、連れて歩くのがはずかしい。彼女は何を考えているのだろう?ハラハラドキドキしながら彼女を待った。しかし、出て来た彼女は白地に藍色の水玉模様のおしゃれなワンピース姿で、まわしなどしていなかった。お母さんのあの言葉は一体?…
 大相撲を見た後でお決まりのコース居酒屋で飲みながらそのことが話題になった。彼女は笑いながら“まわしをする”というのは名古屋の方言で、「用意をする」ということだと説明してくれた。
「(私の勘違いながら)君が本当にまわしをしてきたらどうしようかと思ったよ」
「そんなこと絶対あるわけないじゃない」
そんな会話をしたことを憶えている。
30年経った今でも女房が「まわしをする」という方言を使う度に当時のことを思い出す。

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