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守るべきもの

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 「やっほー、元気?」
 スマホに映る加奈に手を振った。加奈は疲れた表情で口元だけで笑った。
 加奈は看護師だ。子どもが幼いこともあり、今は総合病院で外来患者の診察時間のみ勤務している。加奈が勤務する病院ではコロナ患者を受け入れていた。そのことで担当外の加奈にとっても生活しづらい日々が続き、ラインメッセージで弱音を送ってきたのだ。
“仕事、辞めたほうがいいのかな”
 看護師は加奈の夢だった。看護師になり、辛いことや苦しいことは多々あったと思う。ため息をついたり、涙を流す加奈を何度も見てきた。それでも辞めたいと言ったことは一度もなかった。
 想像はつく。医療従事者への差別は各メディアで報じられている。加奈も例外ではないだろう。
 「ありがとう、時間とってくれて」
 「何言ってんの、愚痴くらいいつでも聞くよ。言いたいこと言って」
 「うん。ありがとう。もうどうするのがいいのかわかんなくなっちゃったんだよね」
 「なんかあった?」
 「あるよ、あるよ。いっぱいある。保育園の先生には、『仕事辞めないんですか、お子さんがかわいそうじゃないですか』って言われたし、公園に子どもたちを連れていったら、ママさん3人組に来ないでくれって言われたし、私のことを避けているなと感じることはよくあるよ」
 そう言いながら加奈は諦めたように微笑んだ。
 「ひどい、ね」
 「言われた瞬間はショックだし、ひどいって思うの。でもね、保育園の先生は子どもたちを守らなくちゃいけないし、ママたちは自分の子どもたちを守らなくちゃいけない、誰だって感染したくないから、看護師である私を避けるのも自分を守るためには仕方ないって思うの」
 「でも、加奈はコロナ患者の担当ではないでしょう」
 「そんなこと関係ないよ。傍から見たらコロナ患者を受け入れている病院の看護師だもの」
 加奈は画面の向こうでため息をついた。常に相手のことを思いやる加奈らしい。
 「確かに傷つくけど、それはまだ耐えられるの。子どもたちは私を応援してくれるし、夫は私の仕事に理解がある。でも、私を支えてくれている家族は私の仕事のせいで、保育園や職場で嫌な思いをしていると思うの。私にとって大切な守らなければならない家族を私のせいで苦しめているのよ。私が守るべきものって何なんだろうって思って」
 誰も悪くないのかもしれない。でも、なぜ加奈が苦しまねばならないのだろう。
 「加奈、看護師は続けて。だってみんなそれを望んでいるでしょう? 子どもたちもご主人も。そして何より加奈自身も。だったら辞めてはだめだよ」
 スマホの中の加奈は涙を流していた。
 「看護師は加奈の夢だったよね。ずっと頑張っていたよね。短時間でもいいから看護師でいたいって、子どもが生まれたときも子どもとの時間を大切にしながら働ける病院を探したよね。そのことをご主人は理解してくれたんだよね。加奈が加奈を避ける人たちを責めないように、ご主人も心無い言葉を投げかける人を責めることはしないと思うの。だって加奈のご主人だもの。そしてそんな二人の子どもたちも同じじゃないかな」
 加奈は涙を流しながら何度も頷いていた。
 「加奈、嫌なことがあったらご主人に話せばいいと思うよ。もちろん、私に話してくれてもいいし。嫌なこと言われたら、ご主人や私の前ではその人のこと悪く言ってもいいんだよ。自分を守らなければいけないのは加奈も同じなんだから」
 いつの間にか、加奈は泣きながら笑っていた。
 「加奈、鏡見てごらん。ひどい顔してるよ」
 「ひどい、そんなこと言わないでよ」
 「もっとぐちゃぐちゃに泣いちゃえば、すっきりするよ」
 泣くのはストレス解消にいいって加奈が教えてくれたんだ。あとは無理やりにでも笑うしかないよ。

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