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やわらかくてなめらかな幽霊

田んぼの中にある鳥居

 私は今、死ぬために、まっすぐな田んぼ道を歩いてる。この先には線路があり、そこを目指していた。清々しい晴天が恨めしかった。

昔から要領が悪かった。何もかも上手くいった記憶はなく、周りとの差を感じ、常に劣等感を抱いていた。それを理由に先日、7年勤めた会社を辞めた。みんな、人から必要とされる、特技や才能、夢を持っている。私はというと、どれもなし。比較的できることといえば、幽霊が見える。だけど、それだけ。見えるだけ。
それだけしかない私は、誰にも必要ないのでは。そう思った瞬間、何かがプツリと切れ、死んでしまった方が楽になるのではと思った。常に劣等感を抱いて、生きていても苦しいだけだった。限界だった。

「嬢ちゃん」
突然後ろから声をかけられる。振り返ったら、知らないおじさんがいた。
「わしが見えるんか?」
周りに人がいないか確認してから頷く。おじさんの足元は透けていた。おじさんはじっと私の顔を見て、「鳥居だけが建ってる所知らんかね?」ときいてきた。

話を聞くと、おじさんは、成仏に失敗してしまった幽霊で、単体で建っている鳥居を潜れば成仏できるのだが、四十九日を過ぎてから、なぜか鳥居が見えなくなったらしい。

もうすぐ電車がくる時間だったが、死ぬ前くらい、いいことしよう。そう思って、私は田んぼの真ん中に、ポツンと建っている小さな鳥居を案内した。
「ここにありますよ。見えますか?」
「んー見えんな。すまんが手を引いてくれんか」
もしそこが死後の世界だったら、手間が省ける。そう思って私は快諾した。けれど、幽霊に触れるのは怖かったので、手を引くことはせず、後ろについてきてもらった。
腰をかがめて鳥居を潜ると、周りにあった田んぼは消え、立派な日本家屋の玄関に私たちは立っていた。番台が置かれていて、そこにおばさんが座っていた。
いろいろ手続きが必要で、少し時間がかかるらしい。
長椅子に案内されたので、私とおじさんは、並んで腰を下ろした。
そして、おじさんはふぅと息を吐くと、私の顔を覗き込んだ。
「嬢ちゃん、なんかずっと暗い顔しとるなあ」
「えっ?」
「話したらスッキリするかもしれんよ」

私は少し迷って、口籠もったあと、自分のことをぽつぽつと話した。
「みんなは必要とされる何かを持っているのに、私は何もなくて。劣等感に苦しむのも、もう疲れたんです。だから、死んだ方が、楽になるんじゃないかって」

おじさんは私の話をきいて、ギュッと眉間に皺を寄せた。そして、大きく頷いて口を開いた。
「わしに触ってみい!」
私は思わずたじろいだ。怖かったのだ。幽霊に触ることが。だから鳥居を潜るときも、手を引かなかった。

けれど、断れなくて、えいっと勇気を出して触れてみた。

初めて触れた幽霊は…、想像とちがって、やわからくて、なめらかだった。
すごい…!
「幽霊みんなが、こんな触り心地じゃない。乾いている人も、冷たい人もおる」
「えっ」
「特に何かを持っていたわけでも、成したわけでもなかったが、わしはわしの人生、楽しかったよ。だからこんなに、やわらかくてなめらかだろう」
おじさんは、フフフと笑い、自分の人生を私に話した。
定年まで、同じ会社に勤めたこと。結婚はしなかったこと。仕事以外は、たまに旅行に行く。その繰り返しだったこと。
けれど、自分が見たもの、感じたものは、どれも素晴らしかったこと。
「わしは、嬢ちゃんが、嬢ちゃんを生きてほしいと思う。恩人だしな。助けてくれて本当にありがとう」

私は今まで、他人の人生と同じように生きようとしていたのだと気づいた。
ただ、自分を生きるだけの人生でもいいのかな。
そんな思いが、じんわりと身体中に広がっていって、ストンと心におちた。
それで、いいんだ。
だって、おじさんは、おじさんを生きて、こんなにやわらかくてなめらかなんだから。

私はおじさんを見送り、元の世界に繋がる鳥居の前で、意気込んでいた。

「私も将来、やわらかくてなめらかな幽霊になる!」

そのためには、私が、私を、力一杯生きなくては。そう決めて、鳥居を潜った。

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