NAGOYA Voicy Novels Cabinet

あっぱれの極み

高級レストラン

先日、妻のお父さんが84歳で亡くなった。
妻のお父さんは気配り上手で、傍から見ていても、よくそこまで気が付くなあと思わせる人であった。そのためそんなに他人に気を遣って生活していると長生きできないから、もっと気を遣わずに気楽に過ごすよう私は常に勧めていた。しかし持って生まれた性分とは直せるようで直せないもので、相も変わらず気配りの人だった。短命かもと思ったにも拘らず意外と長生きしてびっくりした感もある。
 私の妻も気配り上手で、結婚してから注意一つしたことが無かった。お父さんの遺伝なのだろう。私にはもったいないくらいの女である。
 今から話すことは、私と妻の三十数年前の結婚前のお互いの両親の初顔合わせの時の出来事である。名古屋駅前の高級ホテルのレストランの一室で食事をしながら和やかに進めようということで、妻と私が立案、計画しそこを予約したのだった。
 私の父はちゃきちゃきの江戸っ子と自称する東京生まれであったが、終戦間近の東京大空襲で焼け出され、祖父が大八車にありったけの荷物を積んで、その後ろを子どもである私の父が押しながら西に向けて逃げて、走れるだけ走って豊橋から田舎道に入りそのまま渥美まで走りきったところで力尽き、渥美に定住することを決めたのだった。それゆえ父は江戸っ子と称しているにも拘らず実質田舎育ちと寸分変わらない“いなかっぺ”だった。そして、その地元で見合いをして嫁にもらった母も、父に負けず劣らず田舎者だった。
母にはこんなエピソードがある。うちに来た客に対して、カルピスの栓を抜くと(昔カルピスはビールびんとほぼ同じ茶色のガラス瓶に入っており、栓抜きで栓を抜いて薄めて飲んだのである)、そのままビールを注ぐように、
「おひとつどうぞ。」
と言いながらコップに注いだのだ。客も面食らったのだが、勧められて飲まないわけにはいかないと思ったようで、そのまま一口ごくりと飲んだがそれ以上は口をつけなかったそうだ。客が帰ったのを見定めてから、客の残したカルピスの残りを飲んだ母が、薄めて飲むものだと初めて知ったという笑い話がある。田舎者ゆえカルピスをそれまで飲んだことが無かったのだそうだ。
話を元に戻そう。初顔合わせの時、すでに妻のご両親はレストランで着席していて、私の両親が少し遅れてやって来た。約束時間に遅れてしまったことに気後れした父はとても焦ったようだった。スーツなど着たことのない父はネクタイがうまく結べず、首元で団子のようになっている。身体に対して少しスーツが大きいために袖口から手が出ておらず、何だか奴凧を彷彿させる。緊張しているため話す言葉がどもり、何を言っているのかよくわからない。そして両家の挨拶も終わり、食事がコースで運ばれてくる。
 ウェイターが先ずは各人の前にフィンガーボールを置いた。私の父は両家のあいさつで緊張してのどが渇いたのか、フィンガーボールを片手で持つと入っている水を一気に飲み干した。傍らの母もそれを見てフィンガーボールの水を少しずつ飲み始めた。私の父も母も田舎者ゆえフィンガーボールは、指を洗うものということを知らなかったのだ。父は水を飲み干すとウェイターに向かって、「おかわり!」と言ったのだ。ウェイターはフィンガーボールの水を飲み干してお代わりまで欲している父の姿を見て目を丸くしてびっくりしてその場で固まっている。その様子を見ていた妻のお父さんも急いでフィンガーボールの水を飲み干し、「おかわり!」と、同じように言ったのだった。
妻のお父さんはフィンガーボールを知らないわけはなく、私の父に恥をかかせまいとして同じことをしたのである。“あっぱれの極み”ともいうべき出来事であった。
 その翌年、私の父は齢60歳で亡くなるまでフィンガーボールと言うものを知らずに旅立った。母も多分フィンガーボールを知らないまま旅立っている。妻のお父さんのおかげで恥をかかずに済んだわけだ。そんな気配りのお父さんが亡くなって、あの世で閻魔大王や鬼を相手に気配りをする姿を想像して、妻とお父さんの思い出を酒を飲みながら話す今日この頃である。

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